「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

光媒の花

2011-01-17 | つれづれ
やけに人気の作家、道尾秀介さんの「光媒の花」。この人の作品はこれまで何作か手にとってみたのですが、子どもと殺人が絡み、それがしかも無邪気というか、子どもの反応がありえないだろうと感じ、また、あまりにダークな感じがして、正直好きになれませんでした。これまでのは、たいてい途中で読むのを断念というか積極的に放棄したのです。それでも、まあ一応の話題作でどうもこれまでとは違うとようだと噂を耳にしたので、ダメもとで「光媒の花」も手に取りました。

「これでダメならもう道尾さんの作品は本質的、生理的に自分には合わないのだ」と思うことにして読み始めたのです。短編をいくつか集めて登場人物を関連付けていく作品なのですが、最初の2編を読んだとき、またもや子どもと殺人の話。「ああ、気持ち悪い。第一、子どもがこの状態で精神的に正常でいられるわけがないだろう。相変わらずどうしようもないなあ」と思いながらも、さらに頁をめくると…

ちょっと驚きました。なんだか別人のように、いい感じではないですか。殺人とは無縁になっていくというか、第3章はまたもや「殺人」の話ではあるし、虐待の話でもあるのですが、読める内容なのです。なんというか、これまでの作品のように荒唐無稽というのではなく、きちんと現実の問題を見つめて、ありうる状況、ありうる反応が描かれる。地に足が着いた文章になっている。だから、確かに重たい話ではあるのですが、読める。

第4章以降は殺人から離れ、人と人との絆、家族の絆というものを殺人以外の手法で描きます。3章までとは別の話。なんでこれが一冊にまとまるのか、という疑問はさておき、「なんだこういう話が書けるんだ」と認識を新たにしたしだい。まあ、あおりのオビにあるほどの「感動作」ではないですが、アスファルトに咲いた一輪の花、みたいな希望、潤いを感じました。もう殺人と子ども路線はやめて、こちらの路線をもっと深く開拓したほうが私はいいように感じましたよ。

==以下、アマゾンから==
印章店を細々と営み、認知症の母と二人、静かな生活を送る中年男性。ようやく介護にも慣れたある日、幼い子供のように無邪気に絵を描いて遊んでいた母が、「決して知るはずのないもの」を描いていることに気付く……。三十年前、父が自殺したあの日、母は何を見たのだろうか?(隠れ鬼)/共働きの両親が帰ってくるまでの間、内緒で河原に出かけ、虫捕りをするのが楽しみの小学生の兄妹は、ある恐怖からホームレス殺害に手を染めてしまう。(虫送り)/20年前、淡い思いを通い合わせた同級生の少女は、悲しい嘘をつき続けていた。彼女を覆う非情な現実、救えなかった無力な自分に絶望し、「世界を閉じ込めて」生きるホームレスの男。(冬の蝶)など、6章からなる群像劇。大切な何かを必死に守るためにつく悲しい嘘、絶望の果てに見える光を優しく描き出す、感動作。

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