「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

ハリー・ポッター6

2006-05-28 | 
ハリーポッターの第6巻。けっこう好きなんですよねハリポタ。第1巻なんか、わくわくして読みましたっけ。

第6巻では、4巻あたりから顕著になってきた暗ーい路線をひた走ります。読んでない方には以下ネタバレがありますのでご注意ください。

だいたい予想通りの展開。ただ、ダンブルドアが死ぬのは最終巻だろうと思っていたので、そこは予想外の進行の早さでした。「え、ほんとに?」と思うぐらいのあっけないほどの亡くなり方。スネイプへの最期の一言が懇願の色合いを帯びていたというのが、ダンブルドアも不死身ではない人間であるということを痛烈に刻印したように思います。どんな思いがこもっていたのか。

それにしても、スネイプの複雑な役割がますます謎めきましたね。彼は最終巻でどういう役割を担うのでしょう? ダンブルドアが彼を信じた根拠がわかればおのずと明らかになるでしょう。だって、これ、もし単純にスネイプの「裏切り」だとしたら、ダンブルドアが体現していた「人を信じる」ということが「無意味だよ」と書いているのと同義ですからね。ファンタジー小説としては俄かには受け入れがたい部分です(まあ、ファンタジーといえども、小説は道徳とは違う、といわれればまったくもってその通りというしかないですけど)。

メインのストーリーと表裏一体、背景でもあり、主筋でもある、ハリー(ならびに周囲の友人たちも)が大人になる過程が一気に進んだ感じがします。ダンブルドアがいなくなると俄然ハリーの自立が促される。恋愛と死。大人への階段を一段抜かしに進む思春期の臭いがぷんぷんします。

最後の展開は私なりの予想がけっこう早い段階からあるのですが、まあ言わぬが花でしょう。魔法という要素を抜かせば、よくある青春成長物語に冒険要素を加味したものですからね。

それにしても、実にうまいストーリーテラーだと毎回感心します。また一人「なぞの人物」が浮上しましたものね。やはり最終巻が出るのが待ち遠しいような、まだもっとハリーたちと時を過ごしたいような。きっと同じように感じている人は少なくないのでは?