「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

昭和の男

2005-06-30 | 
週刊モーニングという雑誌で連載していた漫画に「昭和の男」というのがありました。遅まきながら単行本全2巻を買って通読してみました。下町に生きる昭和ヒト桁生まれのたたみ職人が主人公で、孫にはめろめろになるくせに、女房、子どもや周囲の人たちには、なにかというと怒鳴ってばかりいるまさに絵に描いた頑固オヤジ。やれ「日本を属国扱いする国の言葉なんかありがたがって勉強するな」とか「子どもに尊敬させろとはいわないが、軽蔑されるな」などなど。男尊女卑的なことを感じる部分もあるのですが、「頑張ったって挫折は当たり前。要はそのときどう踏ん張るか。踏ん張って、踏ん張っているうちに、そこが自分の居場所になる」といった、手をポーンと打ちたくなるような言葉も多々ありました。
時代におもねず、いわば「正論」を吐く。そのアナクロぶりがおもしろくもやがて哀しき、というところ。同じ昭和生まれでも、てのには無理なおやじ像。でも、なにもかも時代や流行に流されてしまうと根無し草になりそうな危惧は、どちらかというと新し物好きな私にもあります。時にはアナクロといわれても踏ん張らないといけないこと、譲ってはいけない一線もあるよな、と思うところがありました。自分は子どもにどんなふうに見られているのか、少なくとも頑固オヤジではないだろうけど、さて一本ぴしっとしたものが通った生き方をしているのか、ちゃらんぽらんな生き方とみられてはいないだろうか。ふと思うのでありました。
ところで、この漫画、下町育ちの私には別の意味で興味深かった。亀戸天神、砂町銀座、木場公園、亀戸サンストリートなど、そこここによく見知った風景が出てくるのです。こういうのって些細なことですが、とても親近感がわきますね。ちなみに主人公の畳屋さんも亀戸に実在する畳屋さんがモデルだそうです。どうりでそこら辺にいそうなオヤジだよなあ、とあらためて感じ入ったしだい。
「平成生まれ」が社会の中心になる時代が遠からず来るんですよね。うーん、不思議な気分。