ねこのひたい

ねこのひたいのような庭と、趣味の読書と,
おとぼけな日々のことをいろいろ書きたいです。

退院そして入院

2018年12月28日 | 介護の問題

先週の半ば、父が退院しました。

医療処置も不要になり、

危惧していた今の施設に戻れない、

と言う問題もなくなりました。

 

ほっと一安心。

疲弊した気持ちを立て直して

さあ年末だ!と思ったら…

 

施設から電話がありました。

また食事が進まなくなったと。

エンシェアと言う栄養補給の物も

飲めなくなってしまった。

サチュレーションも80台で苦しそう。

 

このまま、施設で看取りますか?

それとも救急搬送しますか?

 

看取り!!!

ええっと、弟に相談してすぐかけなおします。

と施設の方には伝えて電話を切りました。

 

すぐに弟に電話をしました。

このまま施設で様子をみていたら

近々父は死んでしまう。

けれど、病院は治療するところ。

しかし余計な点滴で、高齢者が不要な苦痛を味わうこともある

というネットの記事をみたばかりだ。

(混乱していたためわかりにくいです、すみません)

 

どうする?

どうする???

と言うようなことを弟に訴えました。

 

弟「なんで自分で決めないの?」

私「え、弟のが立派な人だから決めて欲しいよ」

弟「立派じゃないし」

私「私は豆腐メンタルだから、全然ダメ」

弟「俺も無理」

という感じの、責任の押し付け合いの後、結論がでました。

 

父の苦痛をできる限りとって欲しい。

そのためにどちらが適切か、施設の看護師さんに聞こう。

 

更に弟は言いました。

自分たちで父の命の期限を決めるのは無理。

かといって施設の人に決めてもらうのも、後で納得できないかもしれない。

できたら医師にそれをして欲しい。

 

そして私が施設に出向き、ケアマネさん看護師さんに気持ちを伝えました。

ただその時には父の容体は安定して

サチュレーションも90台に戻っていました。

ここで、「もう少し様子をみても」という選択肢も発生しました。

 

うーーーん、どうしたものか。

そこで父に聞いてみました。

その時点では、父は時々すごく苦しそうに顔をゆがめたりしてました。

そんな父に、「病院行く?」と直球で聞いてみたところ

行く→行かない→やっぱり行くと

逡巡の後、自分の意見を表明しました。

 

その後、施設が提携している病院の(ちょっと前入院していたところ)

看護師さんとも電話でお話しました。

 

その看護師さんは

「施設で苦痛を取る手段は酸素吸入位。

病院だったら、もっと苦痛が取れると思う」

最終的には、この意見が父の気持ちの後押しをしました。

 

救急車で先週まで入院した病院へ行きました。

診察の結果、「軽い誤嚥性肺炎」

診察したのは、前回入院の主治医とは違う医師でした。

 

前回の医師は

「病院は治療するとことです。だから全力で治療するのみです」

みたいな感じで、その治療の甲斐あって父は退院することができました。

 

一方、今回診断してくれた医師は

「今までたくさんの病気をしているので

あまり無理のないよう治療します。

その途中で今より病状が悪化するかもしれません。

その場合、余りに苦しそうだったら

薬による鎮静も行えますよ」

みたいな感じでした。

 

こんな感じだったので

「家族の意思は、できるだけ苦痛を取って欲しい、です。

絶対治してください、とかではありません」

と言うことも言いやすかったです。

 

それから少しして、病室に移された父は

「あら~〇〇さん…」

みたいな感じで、前回の入院で顔見知りになった看護師さんに迎えられました。

「でも、前回の入院時よりしっかりしてますね」

と間をおかずの入院ならではの感想も聞けました。

 

そして何より、

のどにからんだタンは

看護師さんによって取り除かれ

酸素吸入で呼吸も楽になって

私が帰る時には、テレビが見たいと言うほどに

苦痛は取り除かれていました。

私と弟の希望は、ひとまず叶いました。

 

しかし、疲れた。

ものすごく疲れた。

ものすごく重大な決定をするために

気力を使い果たしてしまったんだと思う。

お昼ご飯食べそこなってたし…

その後仕事に行ったのですが

疲れすぎていてちっともはかどりませんでした。

 

よく「介護離職」って聞くけど

その何割かは、介護のことで(実際に自分で見てなくても)

心が疲れ果ててしまって、

仕事にまで気力が残っていないせいじゃないかと思います。

 

実は私も、請け負っている2つの仕事のうち1つを

やめさえてもらいたいと申し出ています。

 

父の苦痛はひとまず取り除かれましたが

この先も私の心の疲労は、多分続きます。

そして、誰も癒していてはくれません。

だったら、自分で少しでもその疲労を軽くする工夫をしないと

自分が壊れてしまう。

そんな風に感じる平成最後の年末です。

 

 

 

 

 

 

 


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2 コメント

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Unknown (ぽぽんがぽんきち)
2018-12-28 17:26:10
テレビ見たい、まで回復したんだから、入院してよかったね。

うちの父は自分の痰で誤嚥性肺炎を繰り返しました。
最後はもうダメかも→持ち直すを、繰り返し、10日間くらいの間に2日に1回くらい病院に呼ばれました。

chabonosukeさんの疲労と緊張はちょっとだけ想像できます。お父さんとchabonosukeさんが納得の日々を過ごせるといいですね。



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Unknown (chabonosuke)
2019-01-03 13:45:16
そうなの、迷ったけど、入院してよかったってことになりました。

ぽんきちさんのお父さんも誤嚥性肺炎を繰り返していたって言ってたよね。それを思い出しました。

そうか、自分のタンも原因になっちゃうのね。
前の膿胸の時に、「自分でタンを出せないのも原因」って
聞いたけど、今回もそうなのかも。

またぽんきちさんの経験を教えてもらって
この先起こりうることの心構えができた気がする。
返信する

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