Rin's Tsure-Zure Diary

Tsurezurenarumamani Kataru wa …

木田 元 対談集『哲学を話そう』(2000年、新書館)

2012-03-20 16:48:11 | 存在と時間
何度も、何度も読みながら挫折し、また最初から読み始めるという、
まるで牛が食べ物を反芻するかのごとく、ハイデガー『存在と時間』と未だ格闘しています。

著者の木田元さんは、岩波新書『ハイデガーの思想』を始め、数々のハイデガー解説書を書いておられますが、これは木田さんの対談集。

『存在と時間』につっかえた私に、いつも、「よし、前に進もう!」という気にさせてくれる木田さん。ありがとうございます。

私には、高田珠樹さん、生松敬三さんとの対談が、よかったなぁ。『存在と時間』の理解が少し進んだように感じています。

私にとって『存在と時間』がひっかかって離れないのは、たぶん、人間が、今、この時のあり方を変えることによって、過ぎ去った時や来るべき時のあり様が変わってくるというあたりです。ハイデガーは、次第にこの立場から変わっていき、「そんなに人間はエラくないよ」ってことになっていくようですがね。

いずれにしても、丁寧に、ていねいに、と自分に言い聞かせています。





おいしい、ヤメラレナイ

2006-12-12 16:46:50 | 存在と時間
久々にこのネタで書きます。

難航している『存在と時間』ですが、やっと世界=内=存在のところから内=存在のところへ入ってきました。私はちくま学芸文庫の細谷貞雄訳を読んでいるので、上巻の半分を過ぎたところです。それにしても読みヅライ・・・。

人間をわざわざ現存在って呼んだり、日常生活で使う言葉を別の意味(というか大文字で哲学用語にしたりする、この人)で用いたりするから、水前寺清子じゃないけど1歩進んで2歩下がることもしばしば。

私を哲学書に誘ったメルロ=ポンティの訳書(みすずのヤツ)は、これまたクネクネとした本で、「えっ、今ってこれについて言ってたんじゃなかった?」とか「さっきそれは否定したでしょ?今は肯定してるの?どっち?」なんてことが延々と5年ぐらい続いた。

だけど、日常私たちが当たり前と思っていることや暗黙の了解となっていることについて、主題化して厳密に捉えようとしたら、こうなるんだろうな。

私にとっては、「おいしいけどガブ飲みできない、ちょっと度数高めの洋酒」のような刺激物です。ヤメラレマセン。

内容についても、しばらくしたら私なりの言葉で綴っていきたいなぁ。

進まないんです。。。

2006-09-15 12:36:42 | 存在と時間
 さて、ハイデガー『存在と時間』。これがやっぱりなかなか難航しているんです。今回は、節ごとに要約をしながら読み進めているんですが、たまに1週間ぐらい空けちゃうと、どうしても前に戻って読み返すことになる。そうするとさらに前が気になる…なんてことを繰り返しているんです。それで、結局解説書なんかに「浮気」したりして、さらに遅れる。悪循環。

 今は、まだ世界内存在の「世界」のところです。そう、道具連関です。ここね、客観的な世界ではなく、我々が生きる世界というのは、個々の人間(ハイデガーでは現存在)の「今、ここ」による「世界」があって、というか「世界」のありようはそれしかないってことになるんだろうけど、今の時点で納得できないところがアリです。

 それは、ハイデガーが言うように、そんなに人間中心なあり方しかない?ってこと。例えば、行ったことないけどヒマラヤとかの話。私たちの日常生活における環境っていうか「世界」はたしかに人間のサイズとか動くスピードなんかをどこかしら前提にして作り上げられているけど、ヒマラヤの山々の雄大さとかに出会ったら、それはものすごいスケールであって、人間が自然の一部なんだなぁ~って実感すると思う。人間の存在を否定というか、問題にしないような自然のあり方は、どう捉えられるんだろう?
 
 読み進めていけば、明らかになるのかもしれないけど、世界の捉え方というのは『知覚の現象学』のメルロ=ポンティとは、根本的に異なるような気がなんとなくします(具体的に書けなくてスミマセン!)。
 
 そして、明日の晩から再び家を離れます。今度も10日ぐらい。あ~、また逆戻りかも~~~。

「存在と時間」(1)

2006-05-29 16:48:48 | 存在と時間
いやいや、やはり長続きしませんな。ここ1週間ほど家を空けていたこともあり、しばらくぶりの更新です。
実は私、20世紀最大の哲学書とも言われているハイデガーの「存在と時間」を読みはじめています。これが2回目のチャレンジで、この前は途中で嫌になってやめてしまったんですねぇ。この辺が私の中途半端なところなのですが…。
高校時代に光のスペクトラムを学んだとき、「じゃあ、この花の本当の色ってあるのか?ないのか?」なんて考えたのが、私の哲学への興味が始まった原点。「いまだに、この私たちの暮らす世界のあり様、「…がある」をどのように考えるか、表現するかに私の思いは向かうわけです。そういう点では、私はあまり進歩していませんね、高校生から。
まだ序論の最後のところなので、第1部に入ったら、また報告しましょう!