セスタバジカ Cesta Basica

「基礎的なバスケット」という意味のポルトガル語。
ブラジルでは「日常生活を送るための必需品のセット」を指します。

公用語

2015年07月08日 | 雑感
最近よく出張するナミビアについてつくづく「偉いなあ」と感心するのは、母語人口比が1%に満たない英語を唯一の公用語としたことです(こちらを参照)。(ちなみに1990年の独立以前の公用語はドイツ語とアフリカーンスでしたが、これらは支配者階級の言語でした。)話者人口を考慮すればオシワンボ(オヴァンボ語)を筆頭に数ヶ国語を採用することで決着したはずですが、そうはなりませんでした。

(同様の例として私が7度出張したインドネシアがあります。同国も最大勢力のジャワ語は採用せず、マレー語の一方言を国語としたのでしたが、このあたりは昨年短期間ながらインドネシア語を習っていた講師の方からいただいた文献に詳しく載っていました。そういえば私が滞在していた20世紀の終わりでも「インドネシア語を使おう」というスローガンをあちこちで目にしました。)

そうすると否が応でも多数派が少数派を抑圧するという構図ができ上がり、それが内紛や分離独立運動にまでエスカレートしてしまう、というのは世界の数々の例を見れば明らかでしょう。

(これとはちょっと異なり「二つの言語がある国は揉めるけれども三つ以上ある国は比較的安定する」という話を以前聞いたことがあります。ベルギーやカナダなどとスイスを比べると何となく当たっているようにも思いましたが、西語の他に自治州単位ながら三つの言語が公用語として認められているスペインの状況を思い起こしてみれば、たぶん「三つ以上」は必要条件にもなっていないように思います。それ以上に重要なのは「各勢力がある程度拮抗している」でしょう。)

ナミビアに話を戻すと、独立時に英語のみを公用語に採用したことは「これからは皆が等しく不便さを忍受しよう」という決意の表れといえます。これで少なくとも使用言語を理由に優劣が生じることはなくなりました。ここからは仮定法の世界になりますが、もしわが国の母語話者人口比が「日本語48%、中国語11%、ハングル11%、ポルトガル語11%、スペイン語10%、その他(続く)」だったとしたら、どのような選択をするべきなのか・・・・・について一度考えてみるのも決して悪くないでしょう。(自分としてはナミビアのように英語を唯一の公用語にするという選択は、理性としては受け入れられても心理的に抵抗がありますね。「どちらかといえば嫌い」な言語なので。これがエスペラント語だったら全然OKです。)

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