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イタリア映画「こどもたち」を見る

2021-07-04 | エッセイ

 率直な感想を言うと、この映画はコメディーだと作品紹介にあったから選んだが、コメディーではなく、僕に取ってはリアルな深刻な物語だった。

 PC画面で、72時間(3日間)以内に1時間40分の映画を見るというのは、やはり苦行。3度見直して、やっと自分の文章が書けるようになった。大きなスクリーンで大きな音響と、仲間の観客との一体感が恋しい。

  

映画祭の作品説明

こどもたち

 

<こどもたち> 

[2020/97分]原題:Figli

監督:ジュゼッペ・ボニート Giuseppe Bonito

出演:パオラ・コルテッレージ、ヴァレリオ・マスタンドレア、ステファノ・フレージ

子育てに奮闘しながらも翻弄される夫婦を演じるコメディー。一人娘のアンナと幸せな生活を送っていた共働き夫婦のサラとニコラは、2人目の子供ピエトロを授かることになる。第2子を持つ生活の大変さを友人らから聞いていたもののなんとか乗り切れると思っていた夫婦だが、いざ4人の生活が始まると、自分たちが思うようには物事が進まない。周囲の助けもなかなか得られず、家族のバランスは崩れていく。

作品説明終わり

 

物語 

 僕が理解した物語を書いてみるとこうなる。テロップで日本語も流れるが、キィワードだけに近い。つたない僕のイタリア語のレベルでは、ちゃんと理解するのは難しい。現在のイタリア社会と家庭を知らないのも、すっと入ってこない原因だと思う。

<アパート>

 イタリアのローマに住んでいる結婚15年の夫婦の物語だ。ニコラとサラ、そして娘のアンナの3人で平和な時間が流れていた。最初の子、アンナはあまり手がかからなかった。

  昔は大家族的であったけれど、最近のイタリアは個の家族での生活が当たり前のようで、日本に劣らず人口が急激に減りつつある。 イタリア経済が、昔ほど多くの人間を養うような力を持っていないという訳もあるだろう。      

  こういう環境でサラとニコラに、二人目の子供ができる。 セックスをしているのだから子供が産まれてもおかしくないが、まあ、なんとかなるさという気持ちが二人にはあった。

<3人で楽しくやっていたのに>

 友達は二人目の子供を持つなんて、とんでもないと否定的だった。 しかし妊娠したら子供が生まれてくる。 二人は無邪気にも、それを喜んでいた。しかし、それは大きな嵐の前兆だった。

<家族4人>

 1+1は11、つまり1+1=2ではないと気がつくのは、後になってからだった。

 二人目の子供、 長男ピエトロが生まれたことによって、嵐の世界に変わっていく。 ピエトロの自我が芽生えてくる。赤ちゃんは3ヶ月が過ぎると自我を発揮し始める。子供は夜、泣き叫ぶ。サラは仕事を休むことになった。ニコラが唯一の収入を得る立場になり、妻のサラは子育てに翻弄される。夜泣きが始まると寝られない。

 高いカウンセリング料を払って、小児科医に相談する。母親は出来る限り赤ちゃんと一緒にいることが必要だと告げられる。 カウンセリング代400ユーロ、薬代が400ユーロ近くもかかった。食料品店の店員、二コラの収入だけのつましい生活には、10万円は大きな支出だった。

<二人目は大変>

  サラにしてみれば「妻」だった自分がいつのまにか「ママ」になっていた。義父母に相談するが、年齢を理由に子供の面倒は見てくれない。サラは怒って、「あなた達の世代が自分たちの事しか考えないで生活してきたから、こんな生活を私たちがしているのよ」とキレる。すると義母に「私たちは若者100人に対して165人もいるよ。団結すれば強いのよ」と脅かされる 。この辺りはコメディーかも…。

<老人は強いのよ>

 娘、アンナも自分中心の生活ではなくなって、一人で外出するようになる。そして弟を無視しようとする。家族の画を描くと、3人のだけの絵になる。ピエトロなんかいない方がいいと言う 。

<アンナには3人の家族が>

 画面には、悲壮な雰囲気を現わしてベートーヴェンの悲愴のピアノ曲が鳴り響く。

 時には気分を変えるために、夫婦は子供なしでデートしてみるが、子供達への気持ちが現れ、疲れて映画館で寝てしまう二人。

 外の自由な空気を吸いたいママ。二人の仲が険悪になっていく。ピエトロが嵐の中心になる。子供を消してあげようかというオヤジが夢に現れ、びっくりして目を覚ます。悪魔のささやきだ。これは潜在意識の現れかもしれない。

 毎週の家庭の仕事を。ホワイトボードに名前をつけて貼り付けてみる。2人での共同分担作業が明示される。それを試してみるが、二人の感情はパサパサになってくる。外で、食事をしていても会話のない二人。別々の友達の所で時間を過ごす。疲れた二人に危機が訪れる。 そして、子供達にあたる。

 しかし、やはり二人はどこかで、コミュニケーションをとりたくなる。なんとか四人の生活が成り立ち始める。サラも仕事に戻る。

 騒がしいカーニバル、沢山家族が参加するパーティー、そこはカオスそのものだった。四人は逃げ出して二人は仲直り。 やっと二人の子供の存在を含めての生活が始まって行く。

<赤ちゃんは両親の関係を表現>

<二人がいら立っていると赤ちゃんはピリピリ>

 小児科小児科医の忠告、子供たちはあなたたちの鏡なのよ!仲良くしてちょうだい!を受けて、子供たちとの生活が良くなっていく。サラも落ち着いて、仕事が出来るようになってくる。

<アンナの画にピエトロも>

 やっと余裕のある生活が成り立つようになる。勿論、 激しい口論ももどってくる。 

感想

 果たして、これは特異な状況なのだろうかという疑問が湧く。日本であろうが、イタリアであろうが、どこの国であろうが、当然出くわす二人目の子供の問題だと思う。

  これをあえて取り上げたという映画は、それ自体がコメディーかもしれない。 結果的には、日常は気にもしない平和を再確認するチャンスになったのではないだろうか。これこそが、監督の狙い目だった…のかもしれない。しかし、これをコメディーというのは、あまりにもひどいとしか言いようがない。

 こうした問題を映画にした日本人監督はいるかと探すが、どこかほんわかとした家庭を描くことが当たり前で、家庭の中にある悲劇を描き出すという人はいなかったかもしれない。

 そういう意味で、この作品は日本人にとっても再発見のきっかけかもしれない。いつだって、これは当たり前、普通だと思って生きている日本人にとっては、これが 特別な世界であるということを、思い知らされたのではないだろうか。

 このフイルムを見て、一つ疑問が残るのは、時々、サラやニコラが窓から飛び降りるシーンが差し込まれている。これは何を意味するのだろうか?自分が消えたいという思いなのだろうか? 謎か、ご覧になって、何か解釈があれば教えてください。お願いします。

P.S.

ここで借用した絵は、すべて、このフイルムからのスクリーンからのショットです。



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