金魚


お品書きの手作りハンコウが金魚になりました。
何で夏と言うと金魚となるのか分かりませんが・・・
セラヴィでは夏を迎えるに当たり金魚だらけです。^_^;

夏をイメージするものは
考えれば沢山あります。

夏と言えば
花火
浴衣
祭り
団扇
日傘
かき氷
スイカ
海水浴
海の家
サングラス
ビーチサンダル
日焼
パラソル
夏休み
プール
水着
日射病
行水
水鉄砲
夏休みの一研究
臨海学校
肝試し
幽霊
麦藁帽子
虫取り網

クワガタ
キャンプフャイヤー
線香花火
草むしり

金魚鉢
扇風機
風鈴
夕涼み
納涼
蚊取り線香
蚊帳
縁側
暑中見舞
袴能
水狂言
川床涼み
鵜飼
蝉時雨
入道雲
夕立雲
雷雲
風炉手前
夏茶碗
単衣


ほうずき
よしず
日向水 (ひなたみず)
緑陰
ひまわり
とうもろこし
・・・・
花と野菜では切なく出そうですのでこの辺で・・・^_^;





金魚の手拭いにガラスの金魚の風鈴
涼しい音色です。

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のうぜんかずら


これは「のうぜんかずら」です。
20年以上前からずっとここに生えていたはずが、
ここ10年位花が咲きませんでした。
今年久々「のうぜんかずらのお花」におめもじ叶いました。
今年はいい事あるかも(#^.^#)

のうぜんかずら(凌霄花)は
夏から秋にかけ橙色の大きな美しい花をつけます。

平安時代に中国から日本に渡来。
とても寿命の長い木で、豊臣秀吉が朝鮮半島から持ち帰ったとされる
樹齢400年の「のうぜんかずらの木」が金沢市にまだ健在との噂・・・
一度見てみたいと思ってます。

「凌霄花」は漢名からで、
「凌」は「しのぐ」、「霄」は「そら」の意味で、
つるが木にまといつき天空を凌ぐほど
高く登るところからこの名がついたそうです。

花が甘いらしく、
小さなアリが、よくうろうろしてます。

のうぜんかずらは毒を持つと言われますが
迷信でした。管理人も騙されてました。
実際には毒はないそうです。
江戸時代の貝原益軒さんが
「花上の露目に入れば目暗くなる」と記述し
そこから、いかにも有毒の花、というイメージが 付いたようです。 、
昔中国で薬として使われていたのですから
毒のはず無いのですが、この地の方の多くは未だ毒だと信じてます。
お陰で「のうぜんかずらの花」は、この言葉で守られていたのです。

花言葉は、「名誉、名声、光栄」

この花は椿よりあっけなく
ぽとりと落ちます。

あっという間に花開き
美しい形を乱すことなく
潔過ぎるくらいポトリと落ちます。

落ちる意志なくては落ちるはずもないその花は
触れた途端に
自ら「がく」を蹴り宙を舞います。
地に落ちて、なお美しいその花は、安易に触れた人間を見上げます。

貝原益軒さんもこの触れれば落ちる意志を持つ
この、「のうぜんかずらの花」を
知っていたのでしょう。

「名誉、名声、光栄」
どれも人によって落とされます。
皮肉なものですね。


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そばの花


これはそばの花をガラス工房聡、富田聡さんの花器に生けました。
下の塗り盆は山本冨士雄さんの作品です。

そばの花は白くて小さくて涼しげです。
そのうち赤い実をつける頃もまた美しくその時期のそばの花が楽しみです。

そして・・・
新そばの時期が参ります。
そばの香り高い新そばを食べる会があり
毎年、石臼で引いた新そばを心行くまで堪能させてもらます。
酒蔵の主も見えるので
美味しい生酒に舌鼓をした後
そばはやはり最後に頂くのがよいです。

そばを食べるものも、箸を持って待機してます。
それ!と出されたそばを1秒と置かず食べるのが
ここでは蕎麦打ち職人への礼儀です。
出来上がったばかりの美しく輝く蕎麦を頂きます。

ちょっと汁を付け
一気に喉まで流し込み
香りと喉越しと少しの歯ごたえを味わいます。
薬味など使うものは居ません。
ここの主の打つ蕎麦はめちゃめちゃ美味しいのです。
素人ですので
一切の原価計算などありませんから
贅沢の極みを追求してます。

素人と言えども
かなりの凝り性と努力家ですから
腕のほうも保障付き

あ~!!蕎麦が食べたくなりました。

今夜はお疲れモードの管理人の為
長女がラーメンを作ってくれたようです。
今、声が掛りました。
醤油味のちじれ細めん。野菜は多めが私のリクエストです。
こちらも急いで席に付くのが礼儀です(^^)v
それでは・・・


夏手拭いかえるバージョン

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夏手拭いⅡ



夏手拭いの中でもちょっとかわいいトマト柄です。
神岡学さんの作品の上にプチトマトを乗せて遊んでしまいました。
写真で見るとちょいとクドイですね^_^;

夏はトマトです。
幼き昔、お婆ちゃんの家の畑で食べました。
お爺ちゃんの畑でしたが
家はお婆ちゃんの家と呼んでました。
今思うと不思議ですね。
正しくはお婆ちゃんの家のお爺ちゃんの畑です^_^;

一番赤そうなトマトを採って
洋服でごしごしと2度ほど形だけ拭くと
ガブリかぶり付きます。
青臭くみずみずしいトマトが口一杯広がります。
太陽の光を一杯浴びたトマトは
家で食べるのと違い
生暖かく、ちょっと不思議な感じでしたが
なんとも美味しかったぁ~

どんな食べ方をしても昔が再現されなかったのは
ここだ!!と思い
トマトは冷やしトマト!!
と決める管理人も今度は熟したトマトを生暖かいまま
食べてみようかなぁ~とか・・・
でもやはりちょっと勇気が入ります。

そうでした。またまた思い出しました。
お婆ちゃんの家のお爺ちゃんの畑のトマトの枝から
より美味しそうなものを選んで捥ぐから
そのまま食べて美味しかったのです。
たわいのないと思われる昔の味の再現には
幾つものエッセンスが必要でした。

どんなものにも欠けては成り立たないものがあります。
たった「それだけ」と言われるエッセンスの重ね具合が大切なのです。
そのエッセンスの微妙な配合を
いつまでも覚えていたいと思う管理人です。

今更ながら、昔の「当たり前」を
目の前に再現する事の難しさを知った管理人でした。



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ママコシダ


これは昨日、川の増水具合を見に行き河原で見つけた花です。
簡単にママコシダと言ってますが、
「ママコノシリヌグイ」と言う草です。
花はこれ程に、可憐なのに小さな棘が付いていて
別名「トゲソバ」とも呼ばれています。

珍しいのはこの棘は茎には下向きに生えていて
この刺で他のものにひかっかって長く伸びていき、
1~2メートルにもなるそうです。
見た目と違い、たくましい草です。
ただ写真のママコシダは残念ながら
河原に飛んできた種で生えてきたのか
頼る当てもなくポツリと一本咲いています。

この名前「ママコノシリヌグイ」の由来は、
「継子の尻拭い」の意味だそうです。
「継子」つまり血のつながりのない子は、
「継母」よりいじめを受けるという辛いお話しです。
お尻を拭う時こんなちくちくと、棘のある物で拭う
なんともリアルないじめの例え話です。
まったくこのピンクの可憐な花と結び付きませんね^_^;
いつもながら、「誰がこの名前とつけてたのでしょう」と思います。

人の出逢い方が違ったなら
随分と違うお付き合いが出来たであろうに
たった一人の人を真ん中に
愛情の取り合いのようなものですから
継子と継母や嫁と姑の関係
ねじれた愛情の形が嫉妬になります。
かなりエネルギーの居ることと思います。

また別の出会いならば、違う人間関係になっていただろうに・・・
そう、良き関係の間になった人間同士
親友だったり、尊敬しあう師弟だったり・・・
実にありえそうな話しです。
一人の人を想うが故、強い愛に翻弄される同士なのですから

出来ればねじれた愛の形は修復しなくてはいけません。
神様はママコシダに天を仰ぐように進む棘を与えました。
きっと神は大きな天を仰ぐことを教えたかったのでしょう。

大きな空の下皆平等の権利を持ちます。
人間の想いなぞは小さな所にあり
それはどうにかしようと努力すれば出来ない事もありません。
しかし、天災は人を選ばずやってきます。
小さな人間関係が人を潰すこともあるかも知れませんが
それは、心の持ちよう
ただ天災は神の手の中
人の想いなぞ、ちっぽけなものになって行きます。

神のみぞ知るその時まで
授かりし命を謙虚に美しく輝かせたいものです。




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猫じゃらし



猫じゃらし、初夏の頃の美しい緑から茶色く染まる秋口まで
良くセラヴィに飾られる草です。
狗尾草(えのころぐさ)とも言いますね。
毛の生えた花穂が子犬(狗児(えのころ)の尾に
似ているからだそうです。
でもやっぱり「猫じゃらし」ですよね!

どの草花でも摘むときは「ゴメン」とか思うものですが
この猫じゃらしだけは違います。

幼い頃から見つけると必ず摘みます。
どうしても見ると取らずには居られないのです。
それも多くを束ねるのではなく大抵一本です。
一番長くて立派な一本を選びます。
それを手に握り
学校帰りに遊びながら帰ったものです。

友達をじゃらし
道端の草をじゃらし
木をじゃらし
電柱をじゃらし
自分の顔までじゃらしながら
家に帰るのです。

もちろん猫もじゃらしました。
当たり前にじゃれます。

こんなにも長い付き合いの猫じゃらしから
初めて今日、逆襲に会いました。
本当に驚きました!!

飾ってある猫じゃらしに触れた途端
パチパチパチという音と共に
種が一気に飛びました。
初めは何が起こったのか分からない程驚きました。

現状を理解しチェックインを目前にして
大急ぎで小さな種を拾い集めました。

そうです。
猫じゃらしにも言葉があったのです。
こんな所に種をまき散らすほど
言いたい事があったのです。
勘違いしたまま
長きに渡り一方的に取って遊ぶものと思っていた管理人。
この歳になって気が付かされました。

管理人これからは
猫じゃらしにも立派な「草格」を持っていることを認識いたします^_^;


夏手拭い・・大好きな朝顔

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夏手拭いⅠ


夏手拭いで飾られました。
こちらは、黒い金魚の手拭いの上に
流木に乗った
新聞紙で作ったクワガタの親子です。

手ぬぐいもお洒落なものが増えました。
思わず欲を出してしまい、しばらく手ぬぐいの写真が続きそうです^_^;

綿のさらっとした感じがよいです。
飾ってもその質感が涼しさを呼びます。

手拭いは、よく厠(かわや)
つまりトイレの脇なぞに吊るしてあったものです。
お婆ちゃんちの長い廊下の突き当たりの
トイレの外に吊るしてありました。
気持ちよさそうに風に吹かれて居たのを思い出します。
いつもアイロンがかかったようにピシッときれいでした。

「手拭い」という言葉自体がとてもいい響きです。
拭う・・・ふき取る、清める。
手を拭う
額を拭う
口元を拭う
頬を拭う

ハンカチで拭う
タオルで拭う
紙で拭う
手で拭う

雨を拭う
雪を拭う
水を拭う
泥を拭う
汚名を拭う
屈辱を拭う
不信感を拭う
不機嫌さを拭う

汗を拭う
血を拭う
涙を拭う

不安を拭う
悲しみを拭う
憂いを拭う
闇を拭う
痛みを拭う

全てを拭えるそんな貴方の手拭いとなりましょうか(#^.^#)


これは赤い金魚の手拭いの上に赤いちりめんで出来た金魚の香袋

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母帰る

3日間の出張を終え自宅に夕方帰ると
疲れ果てた長女が爆酔してました。
一人で初めて3日も家を空ける事が出来たのも母代理の長女のお陰です。
もちろん家族全員の理解のお陰ですが・・^_^;

小学生のチビ助が
「お腹すいたぁ~」と母を見るなり一言
早々夕食を作りチビ助と食べました。
未だ夢見心地ではあるはずの長女も実は
物音で母の帰宅が分かっていて
安心して寝てる事も理解してまいた。

祖母も居るのですが何故かわざと
母に早々夕飯をねだるのも可愛いものです。
「しばらく見ない間に大きくなったねぇ~」
と母が言うと
「3日でそんなに大きくなるの?」
といぶかしげにチビ助が自分の身体をしみじみ見回しました。
いつものハグをしながら
「やっぱり2ミリ位大きくなってる!!」
と母が言うと
「ママは凄いね!!」
と真剣に言われ、ちょっと後ろめたい気もしましたが
本当に大きくなった気がしてしまいます。

暫し楽しい当たり前の時間を過し
さて、と荷物の整理をしてびっくり
携帯がない!!!
またやらかしてしまいました。
どうにか上野駅にある事が分かり
またまた失敗^_^;
大抵いつも終わりはこんなです。

携帯の有りかが解かりホットとした途端疲れが一気に・・・
明日からの連休もしっかり頑張らねば

足したり引いたりしながらいつも元に戻れる事に感謝です。
3日間の間に沢山のいい勉強がありました。
人生についての大きな勉強もありましたが
整理の出来ない今の頭が情けない。

足したり引いたりしながら
元に戻れる事が何よりの幸せ

今一度頭をよぎるのは
切なく愛おしい友の心
病の床に伏せる友の顔に
明日も太陽の光が優しく差し込みますように



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トラの尾


これは虎の尾です。
昔はこの辺に沢山生えていましたが
めっきり数が減りました。

虎の尾は見ての通りです。
覚えやすくて助かります(^^)v

そのまま生けても美しく
助かります。

日が経つと花は満開となり、
凛と天に向かった尾っぽが下を向きます。
犬の尾のように懐っこく丸まり可愛くなって行きます。
人の人生を見ているようです。

「虎の尾を踏む」と言う言葉があります。
とてもありえないような悪い事を招いてしまう事です。
これは頂けません。

本日、大事なオープンセミナーがあります。
想像以上の沢山の参加者申し込みがありました。
仲間の足を引っ張らないよう
どうか小犬の尾を踏むくらいの所でご勘弁頂き居たい管理人です。
「キャン」・・・あら!ゴメンね!くらいで^_^;



そして、花が満開となり虎の尾が懐っこい犬の尾となった。

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合歓の木


これは合歓の木(ねむの木)です。
小学生の末娘と共に
昨日七夕の短冊を笹の枝と共に下の川に流しに行きました。

木から切り離し小さくした笹の枝と短冊は
手を合わせ願いを掛けている隙に
吸い込まれるようにあっという間に川の中に姿を消しました。

キャンプ場は2万坪もあるので、余りよく知らなかったのですが
川に下りる道沿いに合歓の木が
もうそろそろ終わり際でしたが
まだ美しい姿を留めておりました。
またいつもの下手な携帯写真ですみません^_^;

管理人「ねむの木」はおじぎ草と勘違いしてまして
葉を触ると寝るので「お寝むの木」で「ねむの木」というのかと思ってました。
確かにおじぎ草と葉が似ているのです。
おじぎ草が大きくなるとねむの木になるのかと・・・^_^;
ただ触ってみたのですが
閉じて眠る気配はありません。
ねむの木の葉は、
人の力なぞ借りずとも
日が落ちればキチンと葉を閉じ寝ています。

ピンクの淡い花はほわほわとした綿毛のようです。
初夏に良く 似合います。

合歓の木から覗く河原を見ながら
違う世界があちらに待っているようで
ちょっとワクワクしました。
合歓の木を通り抜ける時
ちょっと不思議な世界にはいって行く気がしました。
手には多くの願いの短冊を持っているのですから
おのずと気持ちも入り込んでしまってます。

「合歓の木」の漢字を知りませんでした。
「歓」は身のよろこび
「喜」は心のよろこび
歓喜とは浄土往生して再び生を受けない事
そして、合うは合わせて一つにする事

なんとも極楽浄土の入り口のような感じになります。
そう言われれば合歓の木はそんな不思議な花をつけます。
甘い誘いにも見えます。


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