惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

5月5日(土)のつぶやき その1

2012年05月06日 | miscellaneous
00:04 RT from web  [ 1 RT ]
欽ちゃんのドンといってみよう! #このラジオ番組覚えてる人迷わずRT ほぼいないだろうなあ。
ちゃずさんのツイート

00:05 from web
迷わなかったが、ちょっと悔しい

00:06 from web
「いってみよう」の欽ドン賞は5000円だった

00:09 from web
俺が聴いてたころはちょうど萩本欽一がレコード出したころで、それがさんざんネタにされていた。レコード屋で「おじさん、欽ちゃんのレコードある?」「ああそれならつかみ取り百円だよ」てな調子で

06:41 from web  [ 1 RT ]
ヒップホップにはとんと疎い俺でもビースティー・ボーイズくらいは知っている。ただ、このニュースをRTするのは専ら亡くなった人の年齢のためである。本当に少しずつだが同世代の訃報に接することが増えてきたと感じる

06:43 from web
コドモの日の朝っぱらから書くようなことでもないが、まあ、いつどうなるか判りはしないのだから仕方がない

06:46 RT from web  [ 5 RT ]
具体的に瀬戸内寂聴、野坂昭如、吉本隆明が「(震災後よりも)戦争中のほうがまし」的なことを言ってるのが分かった。まあ3人いればけっこういますかね?
愛・蔵太さんのツイート

06:47 RT from web  [ 1 RT ]
チョムスキーと吉本隆明…。
だまんさんのツイート

06:50 from web
戦争中の風景との比較は誰が言っているのであっても「はあ、そういうものですか」としか言いようがないな

06:52 from web
ただ俺なんかは震災前から、(東京に限って言えば)見てくれとは無関係に「これが焼け野原だと言われたら俺は信じる」と思っていた。震災後に現れたのはそれが部分的に目に見える風景になっただけだ

06:53 from web
「チョムスキと吉本隆明」というのは橋爪大三郎センセイが言っているやつのことだろうか

06:56 from web
その前に「焼け野原」について註釈しておくと、目に見える風景とは裏腹に現実が焼け野原でありうるというのは、俺は阪神大震災後十年の神戸の話や映像を見て理解したことだ

06:59 from web
つべこべ言っても土木建築技術は大変に進歩したので、阪神大震災ほどの大災害でも数年経てば見てくれは日本の他のどの風景とも変わらない程度に復興はなるものだというのがひとつ、けれども精神の方もそれと一緒に復興するかと言えば、そんな風にはいかないらしいというのがもうひとつ

07:03 from web
「チョムスキ」の方は橋爪センセイに言われるまでもなく俺はずっと前から時々そういうことを考えたりはした。計算機屋だから言語と言えばまずはプログラミング言語で(笑)、プログラミング言語の理論と言えば生成文法の理論だからだ

07:04 from web
だから大学の学部のころには理論言語学の講義を受講したこともあったわけだが、まあざっくり言えば吉本は特に重視はしていなかっただろうと思う

07:08 from web
吉本の関心があるのは表現としての言語あるいは文学としての言語だろうし、そうすると生成文法みたいなのは、その最も広いクラスを考えても、表現とか文学とかの言語はまったく入って来ないから、いいも悪いも何も関係ねえよというところだったんじゃないかと

07:13 from web
同じことは狭い意味での分析哲学とか言語哲学についても言える。フランスの国王がハゲだろうとハゲでなかろうと、そんなのはどうだっていいだろうと

07:17 from web
皮肉なことに吉本だけではなくわが国ではヘーゲル/マルクス系統の考え方の流れが(専門の哲学ではないところでも)ずっとあって、しかも非常に強くあったものだから、分析哲学の理解はひどく遅れてしまったのではないかという気がする

07:20 from web
現に俺だっていまセラーズを読んでて目からウロコを落としまくっていたりする。こんなのを半世紀前からやってんじゃねえか、なんで誰も言わなかったんだって、要は誰も読んでなかったんだ、つまりは(笑)

07:26 from web
オースティンやサールのような「日常言語学派」でさえそうだ。誰もサールをまっとうに読み込みもしないうちから「デリダ=サール論争」だかを翻訳して紹介するとか、例によってトンチンカンなことをやらかしていたわけだ

07:29 from web
デリダ自体がよく読みもしないで現象学にケチつけたりサールにケチつけたりするような嫌らしい手口を使いたがるところがあったようだ。ようだというのは、俺にはデリダのものは何読んでも総じてチンプンカンプンだから、現象学やサール自身の言うところから判断してということだ

07:34 from web
そういう意味では公平な判断はできないが、しかし専門家であれば公平な判断ができるだろうとも、本音を言えば思っていない

07:35 from web
そういうのはもう全然アテにならないから、自分で読んで理解できるものを読むことにしているわけだ

07:39 from web
それじゃ素人哲学にしかならないだろうと言われれば、それは確かにそうだからそう自称しているわけだ。そんなの別に引け目にすることでも何でもないということだけは、計算機屋の経験から判っていることだ

07:47 from web  [ 1 RT ]
なんたってパソコンの歴史の少なくとも半分くらいは素人計算機科学でできている。それはつまり計算機の歴史の半分がそうだというのと同じだ。専門の計算機科学は表計算は作らなかったし作れる道理もなかった。だから無意味だというわけではなくて、単に専門が全部ではないというだけだ

by celsius220 on Twitter
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