ミーコの洋服屋さんに、norinoriさんの洋服をアップしました。
http://www.celluya.com/page17.htm
若いころは、将来性もないし
嫌だと思っていた仕事が、
今は、自分の誇りに思える
骨董品としてコレクターの間で人気が高いセルロイド人形。
この人形を日本で唯一作り続けている最後の職人が平井英一さんだ。
戦前から1950年代にかけてセルロイドのオモチャは日本の重要な
外貨獲得の産業だった。しかし、セルロイドが燃えやすいことから、
アメリカが輸入を禁止。平井さんの家業も塩化ビニールのおもちゃ作りが
中心になったが、大黒様や鯛などのセルロイド製の縁起物も作り続けていた。
セルロイド製品を作る金型は非常に重い。高温でプレスするため、
作業場はうだるような暑さだ。30代半ばのころ、この重労働に嫌気がさし、
平井さんは「将来性もないし、セルロイドをやめよう」と話したことがある。
しかし、父は頑として「続ける」と言った。セルロイドに愛着があったのだ。
【インターネットのおかげで セルロイド人形が復活した】
やがて時は流れ、セルロイド人形が骨董品としてもてはやされるようになった。
10年ほど前、オモチャコレクターとして有名な北原照久さんから、
セルロイド人形製作の依頼があった。30年ぶりに人形を作ってみたところ、
手作り感があって、実に味わい深い。すると、父が60~70もある金型の中から
50年前の人形の金型を探し出してきた。この女の子の人形を「ミーコ」と名付け、
インターネットで販売したところ、予想以上の反響があった。
「これまでは黙々と仕事をするばかりで、同業者としか付き合いがなかった。
でも、インターネットをはじめてからは、セルロイド人形を趣味とする
多くの友だちができたんです。楽しいですよ」人形のオフ会に行くと、
30代から40代の主婦が多く、男性は平井さんのみ。人見知りだった自分に、
まさかこんな華やかな状況が訪れるとは思ってもみなかった。
「あのとき、セルロイド人形を作ったことが私の人生を変えたんです。
若いころは嫌だと思っていたけど、今は人がやってない仕事だから
誇らしく思える。元気なうちは作りづけていきたいですね」