セブ島移住者の本音トークⅡ

セブ島でNGO活動に従事する管理人が、フィリピン人家族との奇妙な生活や、現地での国際交流について語ります。

予定は未定....

2009-02-24 | フィリピンの文化・風土・風習



【日本語教室の後で:参加里子たちの自習風景】



昨日、今日と、セブはエドサ革命記念日(…邦訳がこれで正しいかは定かではありません)とセブ市制記念日で御休みです。


エドサ革命記念日は、大統領令による祝日に当たるようなのですが、これは、現アロヨ政権になってから、突然、言われ始めた事であり、祝日として、イマイチ定着していないような雰囲気で、この日を休みにすると言うのは、その都度、大統領が直前になってから宣言をしている状態の為、国内の足並みが全く揃っておらず、学校関係は昨日を今日の振替休日にして、週末から4連休にしていましたが、昨日は通常通り営業していた官公庁及び銀行が、今日には休館になり、全くもってバラバラの状態で、こちらも大変に仕事がやり辛いです。大体、祝祭日なんてものは、日本人の感覚からすれば、少なくとも施行1年前には、定まっていて当たり前なのですが....(苦笑)


…そんな訳で、こうした事に類似する様々なケースが災いして、この国フィリピンにいると、中々、物事が予定通りには進んで行きません。


…つまり、そんな風ですから、予定を立てる-スケジュール化する-という事が、フィリピン人相手には、こうした社会体制がある限り、そもそも、無理かも知れないと、最近、特に強く感じています。


それは、このブログ他でも、何回か同じ事を述べていますが、先ずは、その一番の基礎になる部分で、‘時間の感覚が根本的になっていない’為、極端に言えば、国際的な関係の下に成り立つ場所(国際空港他-しかし、実は、これもかなり、いい加減)を除いて、比国内だけの関係で成り立つ場所においては、各戸の時計の設定から、各自の腕時計の設定まで、間違いなく、どれ一つとして、国際標準時に合わせられてはいないからです。(極稀にあるかも知れないが、それは、‘偶々、合っているだけ’であり、意識的に調整されたモノではないでしょう)


ですから、例えば、公的な行事(学校の卒業式他)でも、市長だとかが、予定の時間に(そもそも、各自、各戸の時計がバラバラで、何をして、‘予定の時間’とするのかも定義出来ませんが...)来ない為に、式次第が変わってしまったり、或いは、行事そのものが始められなかったりなどという事が実際に当たり前のように起こっていて、どうも彼ら‘権力者’の感覚として、ハッキリとは口外しないまでも、‘皆が自分に合わせればいいんだ’…この程度のモノしかないのではないかと観じます。要は、‘あんたの時計は、正午かも知れないが、俺の時計はまだ11時だ’…とした、日本人から見れば馬鹿げた事が、当たり前のように罷り通り、そこに存在するものは、‘力関係’しかないという事でしょう。


また、これは、‘法律他の国民の共通のお約束事’にも、同じ事が言えまして、先ず、庶民レベルでは、法律そのものを全く知らないし、権力を握った者は、その内容を知っていたとしても、それを愚弄して、‘オレが法律だ’…と、なってしまっている土壌がここに存在する事を、上記のような事例が端的に示しています。従って、この国フィリピンが、法治国家であり、民主国家であるなどと言うのは、‘大いなる錯覚’であり、そこを理解しないで、ここで暮らそうとすると、何時かは、大きなトラブルを抱える事になると言っても決して過言ではありません。


その逆に、非常に悲しい事ですが、‘日本社会というタガ’から外れて、羽を伸ばし、フィリピンという国をナメきってしまった不良日本人が、ここでは、本当に良く問題を起こす為、フィリピンで出会った日本人には、最も警戒しなければならないと言う事が、僕ら定住者の間では常識にすらなっています。…僕自身も、フィリピン人に騙されたというよりは、日本人に煮え湯を飲まされるような経験を数多くしていますので、全くその通りだと思います。


…しかし、そうした事は、ネット社会の中で、匿名を良い事に(要は、通常の社会生活の‘タガ’が外れた状態にある為)、己のストレス解消の為だけに、無責任な暴言を掲示板やブログに書き込み、犯罪行為にも近い事を為しているのを自覚していない人々が少なく無い、昨今の日本の現状にも似ていますから、フィリピンに絡んで来る日本人だけが不良だという事ではなくて、何処においても、人間社会の中には、そうした‘不心得者’が存在する事、また、人間と言うものは、良くも悪くも、その周辺環境に影響されるのだという事を、ある種の前提条件として捉えざるを得ないのかも知れませんね....











…ちょっと話が逸れそうになりましたが、この比国の環境と言うものは、非常に、度し難いモノがあり、余程、気をつけていないと、日本でちゃんとした生活を送っていた人であっても、つい、流されて行ってしまう…そんな状態になり易いのは間違いありません。また、もっと言えば、こうした環境で生まれ育って、他の国のスタンダードを知らない比人たちにとっては、
こうした状態が、‘常態’なのであり、変だとも思っていない訳ですから、彼らが、この国にいる限り、余程の情報収集力・吸収力・理解力・分析力等々(広義では、‘教育背景’と言えるかも知れません)を身に付けられない場合、改善の見込みは、まず無いでしょう。


そんな環境の中にありますので、例えば、当NGOでは、一部の里子たちに無償の日本語教育を施していますが、こちらの運営も実を言えば、大変に難しい舵取りを強いられています。


…と言うのは、僕らは、
大学生の里子を対象に、この機会をオープンしていますが、実は、ここの大学生たちは、アメリカ型の大学教育システムの中、入学は比較的簡単に出来るが、余程勉強をしないと、卒業が難しい状態の為、彼らの生活は間違いなく、大学での勉強が最優先であり、それを中心に生活の全てが回っている訳です。そして、先にも説明しました通り、比国の公的機関及び、学校と言った組織体が、スケジュールによる管理が出来ないで、担当教授他の裁量・都合で、行き当たりバッタリに色んな事が企画されるため、例えば、当NGO(プルメリア)では、学生たちが一番集まりやすい日曜日に日本語教室のスケジュールを設定していますが、参加学生たちには、その前日或いは、当日の朝に、イキナリ学校関係から呼び出しがかかって、僕へ、“先生、すみません。今日の日本語教室には出席出来ません”…とした連絡を入れて来る事も少なくはないのです。(…こちらのやっている事は、あくまでも、彼らの自由意志によって、教養を高め、異文化への理解を進める事にあり、学業成績-引いて言えば、彼らの将来-には、直接的な影響力を持たない為、当然、大学の都合が優先される事になりますから、やむを得ない側面があります)


そんな風で、最近の実態としては、例えば、日曜の午前クラスは全部で5人の生徒がいますが、5人がフルで出席出来た事は、恐らく、今年に入って1回だけであり、大多数が出席できない状態では、授業を進める事が困難な為、中止にせざるを得ないのですが、そうした事態に陥った事が、今年に入ってから、既に2回を数えます。


そんな中でも、比較的安定して、毎週授業が出来ているのが、水曜日夕方の1コマで、こちらは、大学2年生2名のクラスです。来学年以降は、彼女らも3年生になるので、大学での勉強が過密になる可能性もあり、このままの状態が維持できるか否かは分からないのですが、こちらは参加人員が少ない事、それに、まだ現在、彼女らのスケジュールに余裕がある事もあって、例えば、学校の都合で水曜日がダメになったら、木曜日か金曜日、或いは土曜日の都合の良い日に順延して、何とか週に1度のペースは維持できているような具合です。


それ故、例えば、今後、平日クラスのコマを増やすような事態になれば、当然、そのような融通は利かなくなる為、これ以上、コマを増やせるか否かは、ちょっと微妙ではあります。(苦笑)


また、今、僕がお世話になっている日系企業の状況も似たような部分があり、日本企業ならではの仕組みで、現在、社内規定を作成するに当たり、タスクフォースによる会議を定例化していますが、この会議を、キーマンになる比人管理職が、体調不良だとか、家族の病気治療だとか、色んな事由で、日本人には信じられない位、簡単に欠勤してしまっているような状況です。(苦笑)


要は、この会議は現状の仕事内容を文書化してゆくプロセスが最初に来る為、日本人の相談役と、(一応は)通訳の僕が同時に出席しないと、どうにもならない中、日本人側は、少々の体調不良他があっても、ちゃんとスケジュール通りに出勤するが、フィリピン人側の‘キーマン’が来ない場合にはキャンセルせざるを得ないし、僕も、本業-NGO-がある限りは、今日がダメなら明日…なんて融通を利かすことは出来ないから、結果として、スケジュールがズルズルと遅れて行く訳です。(苦笑)


同じようにして、里子たちが通っている大学でも、担当教官が、自己都合で簡単に休んでしまって、そのツケを勝手に週末に調整したりするから、そうした‘体たらく’になっている場合も多いようです。


…要は、彼らの発想の中では、優先されるモノは‘公的なお約束’(…実は、それ以前に、この‘公’とした概念もかなり怪しい....)よりも、個人であり、家族単位のモノまでであるから、皆が一丸になって何かを為すという事が出来ないで、皆が点でバラバラ…そうした感じです。


まあ、ウチの傘下の学生たちには、‘やむを得ない状況’がある事を大前提とした上で、こちら側も日本語の講義をするに当たっては、それなりの準備をする訳ですから、ダメならダメと分かった時点で、出来るだけ早く、ちゃんと連絡するようにという事だけは徹底し、彼らも、それだけは、ちゃんと出来る様になっていますが、いずれにしても、先ずは、ここの権力を握った者たちが、己に厳しく、法やお約束を愚弄しない体制を築かねば、この国は何時まで経っても、このままで、進歩は望めない…そんな感じがします。


それ故に、底辺の底上げと、その階層からの‘突き上げ’を可能にする為の材料として、底辺と、それに近い階層への教育支援が必要だと僕らは考えていますが、道はまだまだ遠いようですね。(苦笑)





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4 コメント

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だんだん (b)
2009-02-25 01:16:45
私もフィリピンの悪いところばかりが 目立つようになりました もう末期ですね 妻の事も諦めた方がいいのか?そう思う様に成ってきました 余りにも悪すぎる 隠せば何でも済む それがTotalで悪いことだと思わない ご都合主義 いい加減疲れました。権兵衛さん 良い人いたら紹介してください マジで 今度は夜の仕事はさせません 疲れました。 
Re:だんだん (権兵衛)
2009-02-25 04:55:42
bさん、おはようございます。

う~~ん、何とも言えないのですが、人間であろうと、国であろうと、当然、良い事もあれば悪い事もあって、通常、それらの関係は、コインの裏表のようなモノだと思いますから、一方を否定して、他方を肯定する事は出来ないので、良い事も悪い事も全部飲み込んで愛する事が出来るのか…最後はそれだけなんだと思います。

bさんのブログのゲスブにナイショ書き込みさせて頂きましたので、御覧になって下さいね。
郷に入れば郷に従え (Buko)
2009-02-25 10:19:36
--現アロヨ政権になってから、突然、言われ始めた事--
混乱せずに済むことをわざわざ混乱させる。
外国人はこれを"Holiday by ambush"と呼んでいます。国際学校の学長も、事前に通知した授業日数や行事日程を守ることが出来なくて、その都度同情を誘うメールを父兄に送ってきます。

私もこれまで何度も腹が立つ思いをさせられました。そこで痛みと引き替えに学んだのは「郷に入れば郷に従え」。
比人を相手にして何か予定を立てる時「ダメもと」と考え、自分の時間・労力が無駄にならないように最初からダブル・トリプルブッキングをする。比人は何の悪意もなくドタキャンするのですから、もしも運悪く2つ以上の約束が同時に成立してしまうようなときには、こちらも優先順位の低いものをキャンセルする。「ごめんなさい、急用が入ってしまって…」
日本人の良心が痛む? 相手に悪い?いえいえ、あちらは大して感じていないものです。だって比人同士では普通のことだから。

本当はこんなやり方好ましくない。けれどフィリピン風に翻弄されていたら、この国を助けようとする私たちの効率性・労力でさえ、うまく発揮できないことになります。冷たい見方かもしれませんが、ある程度感情を捨てて上段から駒を動かすしかありません。

権兵衛さん、とにかくお疲れ様です。
Re:郷に入れば郷に従え (権兵衛)
2009-02-25 18:22:30
Bukoさん、そうですね。仰る通りです。(苦笑)

正直なところを言いますと、日本語教室への対応は、色んな事情を考慮して、出来るも出来ないも5分と5分…これ位のスタンスで立っていますし、どちらにしても、今の僕の仕事量はオーバーロードになっているから、日本語教室がキャンセルになったところで、他にやる仕事(特に事務・経理処理他)は山ほどあるから、問題なし…と言うか、逆に助かってしまう場合もあるんですね。(苦笑)

ただ、本当に困るのは、学校との話し合いの中、新規里子の選抜に当たって、家庭訪問の日取りを決めるような場合に、立て込んでいる時に限って、ドタキャンとか、ワザワザ出向いてみたら、ちゃんと連絡が回っていなくて、候補者のデータも用意されていないし、当事者たちが既に帰宅してしまって連絡も取れないとか、そうした事態に遭遇した時ですね。

…こうしたいい加減な大人たち(…しかも聖職者)に比べれば、ウチの里子たちの方が余程、ちゃんとしていると言うのは、何とも情けない事態です。(僕らが情けないと感じるのではなくて、本当は彼らが感じなければならないのですが、まだまだ、国自体が、そんなレベルではありませんね…苦笑)