瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

雑談(選挙、政治、毒舌家)

2021-10-29 10:34:17 | 随想
先日、期日前投票に行きました。
散歩がてら呑気に歩いて投票所に向かいます。と、会場の近くで和歌山テレビの取材班につかまりました。選挙について街の声を聞いているとのこと。いえいえ、あたくしなんぞは大した意見なんて持ち合わせていませんので。丁重にお断りしました。だいいちカメラに映されちゃ魂が抜かれちまう。

「政治とは、可能性の芸術である」
とビスマルクは言ったそうです。
芸術とは漠然としていて、ちととらえどころがない。ビスマルクの意図とはズレるのかもしれませんが、ここは“芸術”を“創造的な作品”と読み換えて解釈することにします。ならば政治家はクリエイターです。が、どうなんでしょうねえ。そんな政治家いるのかしら。

ビスマルクのこの言葉に経済学者ガルブレイスはこう切り返したそうです。
「政治は可能性の芸術ではない。悲惨なことと不快なことのどちらを選ぶかという苦肉の選択である」

ま、この言葉のほうが現状に即している感はあります。なかなかにブラックジョーク。笑える。けれど現状を皮肉ってみても何も変わりませんからねえ。あたくしはビスマルクに一票ですな。

あたくしも若いころは皮肉屋でしたがねえ。年をとってずいぶん角が取れました。という自己評価ですけど、自己評価というのは得てしてアテにはならないものでして。

昔の日記を読んでいたら先生(大学の恩師)に書いた手紙のことに触れてました。社長とケンカして仕事をクビになったってな内容。そんな手紙を書いたことも忘れてました。で、先生の返事はこう。「おまえのいうことには毒があるから仕様がなかろう」
大笑い。先生も毒舌家でしたが、その毒舌家に毒があると言われるとは。ま、当時はあたくしも若かった(33歳)。今では悔い改め、あたくしもすっかり好々爺(いや、まだ爺さんって歳でもありませんが)。

毒とはつまり薬のことでもありますからね。ようは匙加減。食べ物で私たちの身体は養われますが、腹八分目なら健康でいられるし食べ過ぎれば身体をこわす。食べ物も適量なら薬、過ぎれば毒です。なにごとも過ぎちゃいけません。

なんだか“過ぎ”って文字がゲシュタルト崩壊を起こしました。文字が文字として認識出来なくなってきたようです。
なので今回はこのくらいにしておきます。

長文、お付き合いいただき、ありがとうございました。


追記
文中の言葉の引用は下記の本より。
晴山陽一「すごい言葉」(文春新書 2004年)


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2 コメント

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こころが つくる (はるのとり)
2021-10-30 08:15:37
>「政治とは、可能性の芸術である」
わたしも こちらに 一票。˘ ˘*

先日の記事 コメント欄に書いておられた

>この物質世界は精神世界が変換された世界

これが 思い出されました。
なにか 素晴らしいな よいな みたいに。
こころに 残る 響く 文章
表現 だったのでした … (_ _)*
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Unknown (cdt63430)
2021-10-30 13:54:12
はるのとりさん、コメントありがとうございます

確かに前記事のコメントとつなげると「こころ」がキーワードになりますね。
政治も「こころ」の表現であって欲しいものです。ま、政治家自身の「我欲」という「こころ」の表現にはなっているのかもしれませんが…。醜いものは見たくないなあ。
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