瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

不倫

2017-08-22 10:44:04 | 随想
前項「尊厳と自由」は不倫について書いたものである。が、そうであることは、まず誰も気がついてはいまい。
不倫について書こうとしたが長くなる。で、その一部、というより核心部分を独立させて書いたのが前項である。

核心のみ書いたので不倫が題材であることが消えてしまった。これでは物足りない。だから補足する。
とはいえ、やはりまともに書くと長くなるので端折って書く。ゆえに誤解もされようが、致し方ない。


いわゆる「不倫」は本当に倫理を外れたことなのだろうか。私にはそうは思われない。それを「不倫」と規定する社会習慣のほうが間違っている。つまり倫理の枠組みがそもそもおかしい。

人の心は移ろいやすいものである。「不倫」を規定している今の倫理の在りようはそれを認めず、心を縛り付け固定しようとしている。不自然なのである。不自由なのである。
人の勝手気ままを許さぬ、として不自然、不自由を強いるのが倫理というなら、なるほど「不倫」は確かに社会規範から外れる。

が、ならば倫理は恣意的なものである。いかようにも規定できる。今の倫理観も所詮その程度のものである。絶対ではない。「不倫」を「不倫」として刷り込まれているだけである。

恣意的である倫理観なんぞあてにはできぬ。自分でよくよく考えたほうがいい。「不倫」は恥ずべき行為か。心にやましい行為か。


やはり長くなってきた。もうこの辺りでやめておく。
男女関係の在り方、結婚という制度、家庭について、などなどまだ書きたいことはあるのだが、それはまた別の機会に。

ともかくも、現在の諸々は人の尊厳と自由を損なっているということである。だから今の在り方は間違っている。
こういうものだ、と刷り込まれてしまえば気がつきにくいけれど、心はその歪さに気がついているはずである。だから心は病む。

正しいこと、善いことをしていれば心は健康である。
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