瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

居場所あるいは故郷に帰る

2015-02-03 09:29:59 | 随想
「で、四十をすぎて」と彼女はいった。「あとは、静かに平和に、なんて思っていたわけよ」(中略)「それからね、生きて行く、というより、午後四時の太陽を浴びながら心静かに老いて行く、そういうのが希望だった」

これは関川夏央「通俗だけど泣けちゃう」(「やむにやまれず」所収)からの引用。「午後四時の太陽を浴びながら」なんぞ気分がよくでてる。
あたしも四十を過ぎた頃こんな気分で、そろそろ人生たたみにかかろう、なんて思って独り者の気楽さで、なんのあてもないまま仕事を辞めて田舎に越した。あとは死ぬのを待っていればいいんだ、と思ってた。

ところがそんなうまくはいかないのよね。一度はその軌道に乗ったと思ったのよ。だけどそんなあたしの思いなんぞおかまいなしで物事は展開していくわけ。環境が否応なく変わり、「静かに平和に」なんて呑気なこといってる場合じゃなくなっちゃった。凪いでた海が俄かに波立ち、ここ数ヶ月はおもしろすぎて疲れちゃったわよ。

居場所っていうのは自ら選び取ることもあるし、導かれるようにしてたどり着くこともあるのよね。あたしが田舎に越したのは自分で選んだことだけど、いまここに居るのは導かれるというか引き寄せられるようにして落ち着いた場所だもの。今までを振り返ってもそんな感じよね。

最近読んだ本城沙衣「ジレンマ」(文芸社)の中では居場所がこんなふうに書かれていた。
「心ーすなわち、タマシイが安堵する場所」

おそらくそういうことなのよ。タマシイが安堵を求めて居場所を選び取っていくのよ。タマシイのすることだからさ、無自覚なところも多分にあって、そこはほら、導かれるように、あるいは引き寄せられるようにその場所にたどり着くのよ。タマシイは安堵できる場所を知っているからね。

あとは死ぬだけ。あたしはそう思っていたんだけど、タマシイはそんなこと納得しちゃいなかったんだね。ふざけるなッてンで卓袱台ひっくり返して暴れまわった。で、いまあたしはここにいる。

あたしは先日ひとつ歳をとった。タマシイはなかなかに暴れ馬だけど、あたしはヘタレで歳をとったとなると嘆息するばかり。

まだまだ若い♪
みんな50からが本番だって言ってるしね~😆👍

なんて言葉をもらったりもするのだが、確かにそのとおりで、ヴァレリーのことなんぞを思い出す。ヴァレリーは後半生、それまでとは反転し多忙な四半世紀を送ることとなった。

タマシイは安堵を求め、故郷に帰らんと、ヘタレのあたしを引きずりまわす。この先いったいどうなることやら。できることなら、お手柔らかにね。

♪初めてのドア訪ねてただいまを言おう♪
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2 コメント

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Unknown (yozanema-126)
2021-08-04 22:53:05
「タマシイが安堵する場所」
20年前に廃屋だったこの家を一目見た時
強烈に惹かれたのは
「タマシイは安堵する場所を知っている」いうことだったのだなぁと
わかりました。
この記事を拝読して
うれしかったです。
ありがとうございます。
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Unknown (cdt63430)
2021-08-04 23:36:56
@yozanema-126 何年も前の記事まで読んでくださり、本当にありがとうございます。救われた思いがします。

タマシイが震えるとき、忘れていた何かを思い出すんでしょうね。タマシイはそんなこととうに知っているんですから。
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