瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

#39

2013-01-20 03:31:40 | 考える日々
どんなことだって、ほどほどってのがあるんだけどねえ。たいていは、やり過ぎるんだよね。適正規模っていうのは、どのくらいなんだろう、って考えながら普通やらないもん。デッカイことは良いことだ主義だからね、普通。だから、やり過ぎちゃうんだよね。

適正規模を超えたとき物事は変質するんだね。より良い方向に変わっていければいいんだけど、そういう例は少ないんじゃないかしら。多くの場合は好ましくないほうへ向かうんだよね、何故だか。人間のやってることなのに人間の手を離れてしまって、制御不能になる。まるで怪物だね。人はもう、怪物の暴れるままにするよりほかなくなっちゃう。
適正規模を超えたときの変質で自壊し始める場合もあるけど、怪物に変わっちゃうよりは崩壊したほうがマシだね。ま、崩壊だって勘弁して欲しいから適正規模でとどまるのが一番良いんだけど。

量というのは数字にできるから分かりやすいんだよね。そして数字は大きいほうが良いとされる場合が多い。自然、拡大拡大へと向かい、どこかで一線を超えたとき怪物が生まれる。この怪物は大きくなりつづけないと生きていけない。太りつづけないと死んじゃう。と言って、いつまでも大きくなれるわけじゃないからね。さんざん暴れまわったあげく、デカイ図体(ずうたい)持てあまし死んでいく。いい迷惑なんだよね。だから怪物を産まない工夫をしなきゃ。それは矜持かなあ。数字に振り回されず数字に勝てるとしたら何を守るべきかをハッキリ意識することか。

クリムトの「ヌーダ・ヴェリタス」って絵にシラーの詩が書いてあるねえ。
“汝の行為や作品で万人を満足させられないなら少数を満足させよ。多くの人に喜ばれることは危険である”
このくらいの矜持は欲しいなあ。

人はいろんな怪物を自ら拵えて右往左往してるところがある。ちっとも懲りないのよ。怪物を産まない工夫は無理か。じゃ、怪物は生まれつづけるという前提で考えれば、どう怪物を退治するかだね。相手が怪物に変化するなら、こっちはウルトラマンにでもなりますか。怪獣退治はウルトラマンの仕事だからね。超人ですか。あたし、ニーチェ読んだことないんですけど。だから困るんですけどね、話の締めに超人持ち出されても。なんだか、この文章が制御不能に陥ってるようだね。あたしの意図せぬ方向に暴走し始めた。書き過ぎて気付かぬうちに怪物と化していたか。怪物が暴れまわる前に書くのやめたほうが良さそうだね。このままじゃ収拾つかなくなる。
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