花は桜木・山は富士

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「伊藤博文暗殺」(韓国)

2006-04-05 18:52:40 | 良い話(韓国)
612 :マンセー名無しさん :04/07/15 20:38 ID:FjCV4f9w

 衝撃が走ったのは、韓国の王室ばかりではありません。
十一月四日の国葬(日比谷)には、韓国の勅使はじめ政府代表者らが多数参列しました。
同じ日にソウルの奨忠壇では、李完用首相の主催で、官民一万人が参列して
追悼会がも催され、追悼会は全国各地に及びました。

 一ヵ月後の十一月二十六日には漢城府民会、その翌日は大韓商務局総会、
十二月十三日には永道寺がそれぞれ主催して、追悼式が持たれました。
当時、旅順監獄に繋がれていた安重根の所に面会に行く者はなく、
伊藤博文に対しては「東洋の英雄」「朝鮮の大活仏」等の賛辞が続きました。

 そればかりではありません。朝鮮民族の罪科を謝罪するために、
全国十三道に呼びかけ、「渡日謝罪十三道人民代表臨時会議所」を設ける団体も
現れました。また一方では、伊藤公を閔帝廟のように、神として祀る運動やら
銅像や頌徳碑を建立する運動も起こりました。

市川正明編「安重根と日韓関係史」という資料には、二万語に及ぶ(伊藤公の暗殺)
各国の反応が掲載されていますが、その中で外国
(サンフランシスコ・ハワイ・ウラジオストック等)にある
韓字新聞の報道ぶりも伝えています。

前年の明治四十三年三月にサンフランシスコ在住の張仁煥らが
韓国政府の外交顧問だったスチーブンスを射殺した時には、これら韓字新聞は
連日にわたって暗殺事件の犯人を賞揚し、激越な論調をみせていました。

しかし、伊藤公暗殺については事実を報道しただけでした。
/韓国の(今の)教科書のように「全世界に大韓男児の気性を見せ、
日本の大陸侵攻を世界に警告した」ことにはならなかったのです。

青少年に愛国心を涵養するため、韓国がこのように記述したことはよく解ります。
しかしテロという手段の持つ反作用についても
教えなければならなかったのではないでしょうか。
皮肉にも、伊藤総監暗殺によって日韓併合は一挙に早まってしまったのです。

                「日韓2000年の真実」名越二荒之助 著

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