花は桜木・山は富士

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「ハポン、ハポン」〈メキシコ〉

2006-04-05 18:01:01 | 良い話(南米)
パート3・23 :バーチャバカ一代 ◆0U22RBfA :02/03/30 20:20 ID:qQdmwhja

浜辺にある椰子の木陰のカフェテラスで、ニンジンジュースを飲みながら
話しをうかがった。斉藤さんがもっとも顔を輝かせて夢見るように話したのは、
日露戦争の思い出であった。

「そりゃ、すごかった。日本がロシアに勝ったときは。お祭り騒ぎだったよ。
ハポネス、ハポネス、てどこにいってもいい目にあったもんじゃ。
あれ以来親日感情がぐーんと盛り上がってきたんじゃ。
それにこっちではアメリカ人はグリンゴと呼ばれて嫌われているからね」
私はメキシコは当時も今もまれにみる親日国であるとは思っている。

そのおかげで当時学生、社会人を含め百名前後がメキシコ側の費用で留学していた。
国費などといっても、スペイン語学部を持っている大学は少ないのだから、
落ちこぼれの私でも留学試験に合格するのは、さほど難しくなかったわけだ。

メキシコに行く前は、1968年のメキシコオリンピックの様々な競技で、
「ハポン、ハポン」という」大声援があり、サッカーの日本対メキシコ戦でも、
自国の不甲斐なさに、メキシコ人が日本を応援し始めたテレビ映像をよく覚えていた。
だがなぜそんなに親日なのかは、小学生の私には無論分からなかった。
メキシコに滞在してわかった、親日の一番の理由は、アメリカが隣にあるという
地政学的な理由である。

メキシコには「天国にはほど遠く、アメリカには近い」、
という諺みたいなのがあり、1848年の米墨戦争で領土の半分を取られたし、
現在経済的にはメキシコをアメリカ資本が牛耳っている。

そこで、メキシコ人には米国への複雑な思いがある。
斉藤さんがいわれたグリンゴというのは、アメリカ軍の制服がグリーンだったので
1914年にベラクルス港が米軍に包囲されたときに、メキシコ人が「Green go!」と
口々に叫んだのが起源だともいわれている(それは中南米全域で定着しているし、
国や地域によっては、その言葉はアメリカ人に限らず外人を指すような場合もある)。

そのアメリカと同じように戦争をして負け、経済的にはいっときはアメリカを
打ち負かせたかに見えた日本。
メキシコ人にとって日本は、彼らの願望の代償行為を行っているわけだ。

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パート3・25 :文責:名無しさん :02/03/30 21:59 ID:anFHKljP

>>23
同世代人ですね。
メキシコ五輪当時小学生だった私ですが、サッカーに限らず、
「ハポン」の声援の多さは印象に残っています。
私は、「メキシコと日本は仲がいいんだな」と思いました。
大会前には、当時のNHKの超人気番組「ふるさとの歌祭り」が、メキシコに「出張」。
ほとんど「街頭」のようなところの特設ステージだったと記憶していますが、
司会の宮田輝氏に出演者、聴衆、通行人も一体となって和やかな雰囲気。
最後には、「ラ・ゴロンドリーナ」を全員で歌いました。

地球の裏側(経度的には)でも、こんなに日本をすいている国があるのは、
小学生の心にも、とても嬉しいことでした。
その20年後、近くの国で開かれた五輪とは大違いでした。

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