CB250エクスポート

CBのファーストデリバリー車の詳細を紹介します。

CB250エクスポート アイスキャンデー屋さんが走った道をホンダC115で走ってみよう

2011-03-01 21:31:26 | 歴史


草の線が2本有る道は、1970年まで続いた。
ではこの道をホンダC115で走ってみよう。1963年、通学に使っていた。
学校までは5キロで、舗装道路はその内、学校の近くの1キロだけだった。
恥ずかしながら、信号は無い。5分かかった。常に70キロを保って走らないと
間に合わない。だからタイヤの空気圧は3キロにしていた。
半分うずまったグレープフルーツが、アチコチに顔を出しているので、そうしな
いとリムが持たないからだ。
でもまともに乗り上げる石は、何個も無い。トライアルの「きっかけ石」のように、
うまい具合に手前が、なだらかになっている石は、面白いので毎日乗り上げて
いた。
他の石は、ボトムリンクがみごとによけてくれた。テレスコピックではまず無理
だろう。なぜならハンドルを激しく左右に振り続けると、ステアリングヘッドは小
刻みに上下し、オイルダンパーがロックしてしまう。
このタイミングで石に乗り上げると、狐につままれたかのように、フロントタイヤ
が30センチも跳ね上がってしまう。
そのぐらいボトムリンクは、すばやく動いた。本田宗一郎さんがボトムリンクを
選んだのは、このためだったのだろう。
ハンドルバー一式は、CB93のに換えてあった。ブラケットをちょっと削れば簡
単に付けられた。幅といい、高さといい、ベストマッチした。
高校までは、海抜で100mの上りになっている。体重55キロと軽量だったが
70kmを保てたのだから、たいしたものだ。
ちなみに、いろは坂を、60キロの兄を乗せて、ノンストップで登ってしまった。

 

 

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