いつもならば、全身から圧倒的なエネルギーを放出して、原発を襲った直後のゴジラのように体の内部から力を漲らせている息子なのに、この日の朝ばかりは元気がなかった。
妻に聞くと、前日の昼から食べたものをすべて戻しているという。顔は真っ白。蒼白だ。
ただ、水分は欲しがるし、少なくとも食べ物を取ってから吐いて戻すまでの短い間は、元気である。
「バナナが食べたい」。
言い出したのは午前7時前。消化がよいとは思えないが、しょうがない。車で探しに出た。息子も一緒に車に乗りたいというので、二人で出かけた。
当然、スーパーは開いてない。一番近いセブンイレブンに行くと「ファミリーマートならあるかも」。で、少し離れたファミリーマートに行ってみると「ローソンにあったような」。で、ちょっと遠くの幹線道路沿いのローソンに行ってみると「前にセブンイレブンで見かけた。どのセブンイレブンかは忘れたけど」。
どのコンビニも、面倒くさくてたらい回しにしているではない。店員さんたちは、みな真剣に自分の中の記憶を手繰り寄せながら答えてくれている。しかし、バナナをコンビニで見かけたという記憶は、あまり明瞭に頭にストックされてない。当たり前だ。
コンビニを出るたび、抱いている息子の首は明らかに力を失い、私の肩にぐったりともたれかかってくる。車の中でも、私の問いかけにも張りのない声でいつもにはない素直さでうなずくだけだ。
いつもはこちらまで疲れてしまうほどに張りのある声で「ヤダ、ヤダ」を言われて腹も立てている。が、こんなにも力のない声を聞かされると、いつもの「ヤダ、ヤダ」も愛おしい。
車を走らせて次のコンビニへと向かう。
このあたりで、気がつき始めた。郡山という町は、町の規模の割りにコンビニが多すぎるのではないか。
いなかなので、車社会だ。都会のコンビニと違ってほとんど駐車場付き。近所の常連さんをターゲットにしているというよりは、一見の通りすがりのドライバーを相手に商売しているようだ。そうであるならば、寡頭競争だ。淘汰されるべきではないか。
などなど、なかなかバナナが見つからないので、コンビニの店舗数についても、いちいち理屈をこねていちゃもんを付けたくなる。
と、息子が「あのセブンイレブンがいい」と、か細い声で特定した。住宅街の角地にある、店舗の規模に対して、やたらと駐車場が広すぎる。
あった。おにぎりやポテトサラダに囲まれて、一本だけの「クオリティ・バナナ」。黄色と言うよりは金色に輝いていた。
「あったぞぉ」。うれしさのあまり、私は店員がちょっと驚くくらいの声を上げてしまった。が、息子はバナナがあることをあらかじめ知っていたかのごとく、小さくうなずいただけだった。
正直なところ、驚いた。息子を満足させるために車で走らせてから、一番早く開くスーパーに行ってバナナを手に入れるしかないだろうと思っていた。
どうして、息子はあのセブンイレブンに寄ろうと言ったのだろう。あの時の息子の態度は、あとで思い返すとバナナの存在を確信していたのだ。俺だからこそ分かる。あの息子の表情は、確信の表情だったのだ。
その日は休日当番医に行って息子を診察してもらった。風邪との診断。夜には息子は回復して、翌日の朝には元気に幼稚園に行った。
3日後、息子を車に乗せて、わざとあのセブンイレブンの前を通った。「どうしてあのお店にバナナがあると思ったの」と問うと、息子の答えは「ウルトラマン・メビウスだから」。
? !
そうか、地球を救いたいと念じれば救えるんだとテレビでやっていた。バナナが食べたいと念じれば、バナナがどこにあるか分かるんだ!
ちなみに、休日当番医からの帰り。通り道に前日のチラシで売り出しをPRしていた車屋さんがあったので、中古のプリウスを買った。
「ウルトラマン・プリウス!」なんてね。メビウスと一緒に登場させて、「メビウスも、プリウスも、地球を守るために闘っているのだ」なんてね。トヨタが売り文句に使わないかなぁ。小さな男の子がいるうちは、プリウスにせざるを得なくなると思うが。
メビウスの輪をプリウスが走り続けてさ、「永久サイクルを目指しています」なんてコピーも付けて。
妻に聞くと、前日の昼から食べたものをすべて戻しているという。顔は真っ白。蒼白だ。
ただ、水分は欲しがるし、少なくとも食べ物を取ってから吐いて戻すまでの短い間は、元気である。
「バナナが食べたい」。
言い出したのは午前7時前。消化がよいとは思えないが、しょうがない。車で探しに出た。息子も一緒に車に乗りたいというので、二人で出かけた。
当然、スーパーは開いてない。一番近いセブンイレブンに行くと「ファミリーマートならあるかも」。で、少し離れたファミリーマートに行ってみると「ローソンにあったような」。で、ちょっと遠くの幹線道路沿いのローソンに行ってみると「前にセブンイレブンで見かけた。どのセブンイレブンかは忘れたけど」。
どのコンビニも、面倒くさくてたらい回しにしているではない。店員さんたちは、みな真剣に自分の中の記憶を手繰り寄せながら答えてくれている。しかし、バナナをコンビニで見かけたという記憶は、あまり明瞭に頭にストックされてない。当たり前だ。
コンビニを出るたび、抱いている息子の首は明らかに力を失い、私の肩にぐったりともたれかかってくる。車の中でも、私の問いかけにも張りのない声でいつもにはない素直さでうなずくだけだ。
いつもはこちらまで疲れてしまうほどに張りのある声で「ヤダ、ヤダ」を言われて腹も立てている。が、こんなにも力のない声を聞かされると、いつもの「ヤダ、ヤダ」も愛おしい。
車を走らせて次のコンビニへと向かう。
このあたりで、気がつき始めた。郡山という町は、町の規模の割りにコンビニが多すぎるのではないか。
いなかなので、車社会だ。都会のコンビニと違ってほとんど駐車場付き。近所の常連さんをターゲットにしているというよりは、一見の通りすがりのドライバーを相手に商売しているようだ。そうであるならば、寡頭競争だ。淘汰されるべきではないか。
などなど、なかなかバナナが見つからないので、コンビニの店舗数についても、いちいち理屈をこねていちゃもんを付けたくなる。
と、息子が「あのセブンイレブンがいい」と、か細い声で特定した。住宅街の角地にある、店舗の規模に対して、やたらと駐車場が広すぎる。
あった。おにぎりやポテトサラダに囲まれて、一本だけの「クオリティ・バナナ」。黄色と言うよりは金色に輝いていた。
「あったぞぉ」。うれしさのあまり、私は店員がちょっと驚くくらいの声を上げてしまった。が、息子はバナナがあることをあらかじめ知っていたかのごとく、小さくうなずいただけだった。
正直なところ、驚いた。息子を満足させるために車で走らせてから、一番早く開くスーパーに行ってバナナを手に入れるしかないだろうと思っていた。
どうして、息子はあのセブンイレブンに寄ろうと言ったのだろう。あの時の息子の態度は、あとで思い返すとバナナの存在を確信していたのだ。俺だからこそ分かる。あの息子の表情は、確信の表情だったのだ。
その日は休日当番医に行って息子を診察してもらった。風邪との診断。夜には息子は回復して、翌日の朝には元気に幼稚園に行った。
3日後、息子を車に乗せて、わざとあのセブンイレブンの前を通った。「どうしてあのお店にバナナがあると思ったの」と問うと、息子の答えは「ウルトラマン・メビウスだから」。
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そうか、地球を救いたいと念じれば救えるんだとテレビでやっていた。バナナが食べたいと念じれば、バナナがどこにあるか分かるんだ!
ちなみに、休日当番医からの帰り。通り道に前日のチラシで売り出しをPRしていた車屋さんがあったので、中古のプリウスを買った。
「ウルトラマン・プリウス!」なんてね。メビウスと一緒に登場させて、「メビウスも、プリウスも、地球を守るために闘っているのだ」なんてね。トヨタが売り文句に使わないかなぁ。小さな男の子がいるうちは、プリウスにせざるを得なくなると思うが。
メビウスの輪をプリウスが走り続けてさ、「永久サイクルを目指しています」なんてコピーも付けて。
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