アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

「美味しんぼ」こそが偽善

2014-05-20 | Weblog

 最後は、論点のぼやかし。


 自らの非を隠すために、いろんな工夫を盛り込んで…。編集長のまとめの記事は、偽善と欺瞞に満ちた、まるで最近不始末を起こしたあの政治家の言い訳のようだった。


 「美味しんぼ」は結局のところ、放射能による健康被害については当初の「確定的にある」という論調から、「諸説ある」という論調にすりかえることで、日本の将来に向けての「問題提起」なのだとお茶を濁した。


 「鼻血や疲労感の原因は放射能のため」「福島はもう住めない」と断定的に表現したことを(予想した通りだが)作中の発言者の責任のみにとどまらせて、マンガのテーマの全体像をぼやかした。


 前のブログでも述べたとおり、鼻血や疲労感については、まったく事実がない。双葉、大熊の両町にも多く縁者がいるが、一人もいない。


 一方的な言いがかりであり、取材が足りな過ぎる。


 いや、鼻血を出したという人がほとんど実在しない以上、本当は多くの取材をして鼻血の事実はないことを把握していながら都合の悪い証言は削除して、井戸川さんというごく特異なキャラクターを利用したのでは、と考えるほかない。


 ストーリーに都合のいいことだけを言う人間を集めてつくりあげたドキュメント仕立ての作り話。


          ◇


 なぜ真実を捻じ曲げたのか。


 放射線の影響の諸説両論を紹介するのではなく、作中のエピソードが事実なのかどうかについては触れないようにしながら、論調を変節させた編集長の浅はかな弁明は痛々しく、被災者の一人としては、非常にむなしいものだった。


           ◇


 日本を離れオーストラリアに移住した原作者が大災害に見舞われた祖国を見て、もはや執着の少なくなった祖国とはいえ感傷的な使命感を燃やし、もともとの判官びいきの資質も相まって反原発ストーリーを仕立てた。


 オーストラリアから戻った際にちょこっとだけ被災地を覗き見してストーリーの材料は得た。編集長はもともとひとりの出版社社員でしかないし、老害原作者の発言力には逆らえない。また自分のなかでもすでに風化した題材。深く考えずに掲載した。でも、いざ掲載してみると反響が大きかった。


 なんとか、逃げ口上をつくりあげなければ…。このへんは、さすが雑誌編集者だ。放射線の健康被害の両論を闘わせることに論点を移したことによって非難の矛先をそらし、それは成功した。


 最終回では、会津の料理を紹介し、福島の魅力について語らせた。


 こっちが恥ずかしくなるほど、白々しく取り繕っている。


 ラストシーンは親と子の和解。被災者たちの心をズタズタに引き裂いておきながら、「うんちく親子」が大団円を迎える。


 そういえば、この原作者、福島に対してだけでなく、すべてのことに「上から目線」だったな、と今更気付く。



           ◇



 前々回ブログで、初めてこのマンガについて書いていたとき、私は息子の小学校の校庭にいた。運動会だった。校舎脇に簡易ベンチを設置してパソコンに向かっていた。


 五月晴れの下、子どもたちは元気に校庭を走り回っていた。


 今回の運動会には、特段の意義を感じていた


 まず、校庭で行われたこと。2011年と2012年の運動会は、放射線を心配する声が多く、学校から遠く離れた公共施設の体育館で行った。昨年からようやく外で運動会ができるようになったのだ。


 「美味しんぼ」の製作者たちはまったく知らないのかもしれないが、福島県内の小学校では放射線による健康への影響よりも、外遊びが制限されることによって起きる肥満が問題になっているのだ。ようやく外遊びできるようになったのに、「美味しんぼ」に水を差された、というのが実感。


 さらに、今回の運動会は子どもの数が増えた。


 一昨年、単身赴任だった私は土日だけ帰省して息子と一緒に風呂に入った。その際、1週間の留守中に学校でどんなことがあったのかを息子に聞いた。


 当時は、毎週のようにクラスで「お別れ会」があった。「美味しんぼ」では県外避難が肝要であるとしているが、放射線の影響については両論あるものの、子どもたちには県外避難する親への反論は許されるべくもなく。県外避難を志向する親によって、子どもたちの別れは一方的に、かつ、唐突につくりだされた。


 それが、3年という時間を経て、友達と再会して、一緒に運動会を楽しむことだできたのだ。こちらにも「美味しんぼ」は水を差した。


           ◇


 マンガの最終回、「言うべきことを言わないのは偽善」とのせりふ。


 バカにするな。福島県民は、言うべきことを言っていないのではない。不要な自己主張をしていないのだ。


 覗き見しただけで、何が「福島の真実」だ。


 これだけの偽善の大盤振る舞いをしておいて、この原作者、真正のバカか。


 「美味しんぼ」こそ偽善の塊じゃないか。


 荒木田さん、あなたのコメントも、もう想像できますので、いいです。


          ◇


  結局、「美味しんぼ」なんかに目くじら立てた福島県民がバカを見ただけなのか!


 こんなマンガが影響力をもつような今の日本ってどうなのーという不安だけが残った。


 「美味しんぼ」は、焚書坑儒の対象ですな。
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