アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

30年間も頑張ってくれているキャンプ道具

2016-09-28 | Weblog


 旅行は一人、という信条がある。せっかくの日常からの脱出や異文化との遭遇に際して、どうして同伴者が必要なんだ。


 小学生の頃から、映画を見るときも一人で出かけた。同級生から「変わってる」と言われたが、何かを感じるために行っているのに隣に友達が欲しいなんていう方がよっぽど変わっている。


 オートバイに乗る年齢になってからも、ツーリングはずっと一人で行った。


 北海道へのオートバイツーリングは合計7回。本当はカナダに憧れたが、12万円のオートバイを購入した16歳の高校生には、経済的にまったく不可能だった。


 高1の夏休みに初めて出かけて、旅行2日目、北海道上陸初日に事故を起こした。地元の新聞に事故の記事が出た。


 2か月入院、1年半の松葉づえ。「二足歩行」を取り戻すのに2年以上かかった。だから高校の修学旅行は行けなくて、同級生の全員が「学習旅行」に行っている間、ひとり「自主学習」のために登校した。


 「学習旅行」も出席日数に入っているそうで、「お前も登校しろ」とのことだった。禁止されていたオートバイに乗って遠い所へ行って事故を起こした身として、出席日数を持ち出されると逆らえなかった。

 それに、それを命じた担任の先生は、当初は学校に対して「北海道の親せきの家に行って木から落ちてけがをした」とおれをかばって学校にうその報告をしていてくれた。その後、裁判所から簡易裁判の案内のはがきがどういうわけか学校に届いてしまって事故が発覚したのだが、先生とおれが校長室に呼び出された際、おれの隣で先生は「停学にさせたくないのでうそをつきました」と校長に頭を下げてくれた。校長は「お前はこの先生の気持ちにきちんと応えなさい」と言って、オートバイ事故を「木から落ちたけが」にしてくれた。だから、おれが2人の先生の命令に逆らうなどしたら、人間のクズになってしまうのだった。


 「お前、寝癖がついているぞ」。話がまとまったあと、校長先生は引き出しを開けて自分で使っている櫛を渡してくれた。きっと、優しさからの、慰めの言葉だったのだろう。でも、椿油でベタベタの櫛だったし、なんだかフケも付いていた。それでも、やっぱり男としてその櫛も拒むことはできなかった。


 高校卒業後もしばらくはオートバイに乗れない体のままだった。


 社会人になってから北海道ツーリングを再開。33歳まで、何年かに一度というペースで出かけた。


 社会人になってからのツーリングは、夏休みの1週間を利用した。北海道への往復だけで2日間かかるため、道内ツーリングは実質5日間。広い北海道の一つの地域を訪れては本州に戻り、次の旅行で別の地域を回るという繰り返し。7回目でようやく1周できたので終了した。


 いや、正直、夏休みを一週間連続で取るということで職場の人たちに随分と迷惑をかけていた。


 で、冒頭の写真は、北海道ツーリングを支えてくれた道具たち。


 「なるべくお金をかけない」という目的があったので、道内のほとんどはキャンプ。写真右は30年前に購入したEPIのストーブ。炎が出る部分は金属に焼きが入っているし、五徳の部分は錆もある。でも、3年前まで行っていた息子とのキャンプでも使っていた。30年間も野外で酷使したが今でも使える。


 写真手前はランタン。やはりほぼ30年前から使っているが、まだ現役。写真左はそのランタンのケースで、上ぶたの裏にマントルの予備を張り付けてある。

 写真奥はコッヘルセット。中に一回り小さなナベが入っており、ソロツーリングならばナベ2つで充分。小さなナベの中はちょうど燃料が一つ入るようになっている。ナベの上にも燃料を一つ載せて収納袋に入れるので、都合2つの燃料を省スペースで持ち歩ける。一人きりの1週間ツーリングでは燃料もふたつで充分。


 震災の際も、ライフラインが回復するまではこのキャンプ道具たちは活躍してくれた。


 テント内での中毒が問題視され、今はこの手のストーブやランタンはあまり見かけなくなった。これらの発展形の道具が登山ショップなどに並んでいる。最近はいろいろな工夫がなされていて非常に便利そうである。でも、長年使っていると、自分限定かもしれないけど、一番使いやすくなっちゃうんですよね。


 同じ時間を長く共有すると、大切なものになっていくんだと思います。


 来月に仕事で北海道を訪ねるという予定が入った。20年ぶりの北海道です。

 宿泊場所は偶然にも高1の夏休みに事故を起こした現場のすぐ近く。現場の道道(北海道なので道道。○○県ならば県道)を通って、宿泊先に行くらしい。


 入院した病院の先生は元気かなあ。おれを名字や名前ではなくて「内地の少年」と呼んでいた。

 
 「痛みはどうだ? 内地の少年」なんて、入院していた部屋に来て、気さくに声をかけてくれた。見舞客が一人も来ない16歳の小僧を気遣ってくれていた。

 
 今回の北海道行は、もちろんオートバイじゃない。飛行機。宿泊先も屋根付き。ちゃんとした旅館です。

 「内地の中年」に、ソロキャンプは無理ですから。


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