息子の朝食にベーコンエッグをつくっていたら、あら、久しぶり。
黄身が2つ入った卵。なんかうれしい。
子どものころはしばしば見かけたが、このところとんと見なくなっていた。
子ども同士で必ず取り合いになったなぁ。
だいたいは親が年少のおれに味方して、最終的にはおれのものになっていた気がする。
当時はきょうだいは上の方が圧倒的に有利で下の方は常に虐げられていると確信していたが、いま考えると下もそれなりに役得があったようだな。
前日のメヒカリといい、子どものころを思い出させる料理が続いてる。
そういえば、親が子ども用のメヒカリの下処理で頭を取ってくれていたのは、魚の傷みを防ぐこと、苦みを取り除くこと、さらにもう一つ理由があったことを思い出した。「目玉」だ。
メヒカリの目玉がえらく硬く揚がってしまうときがあって、これを噛むと小石を噛んだように不快だったからだ。
魚の下処理は雑魚ほど面倒だし、さらに内臓はすぐ臭い始めるから後処理だって大変だ。
黄身が2つの目玉焼きのときにはいつもおれに味方してくれていたのに、「魚はもう嫌だ」なんて悪態ついたりして…。
本当にすみませんでした。
そういえば、「目玉」なんだから2つあるのが本式だよな。真正の「目玉焼き」は。
魚の目玉は「揚げ」だと硬くていやだったが、煮魚の目玉「煮」はおいしくて、丁寧に食べると宝物に変身した。
周りのゼリー状のものを食べると象牙色の球体が現れる。それを口の中でガリガリとやっていると水晶体が現れる。
口の中で磨きをかけていくと、さらに透明度を増していく。
たくさん集めてポケットに入れておくと半ズボン全体が臭くなる。そればかりか、入れっぱなしだと洗濯機の洗濯槽の中にちらばってしまい、親に叱られたこともあった。
それ以来、親は洗濯の際には麻薬取締官のようにおれの半ズボンのポケットを必ず裏返しにして、何も入っていないかを確認していた。
「サウンド・オブ・ミュージック」の中の「マイ・フェイバリット・シングス」には、子どもの世界観が広がる。
猫のひげ、鳥の羽根、ネズミのしっぽ。大人にはごみのようなもの。それらが「私のお気に入り」。
魚の目玉などはそれらより格段に貴重品じゃないか。まさしく「目玉」だ。
現在20代の姪っ子もアカジの「目玉」が好きだったな、小学生のころは。
魚が大好きだったが、彼女の場合は魚ばっかりの食生活ではなかったから魚を好きになれたんだろうな。
友達の誕生会に行ったとき、その子のお母さんに「好きな食べ物は何? なんでも作ってあげるわよ」と言われ「アカジの煮たの」と注文して困らせたらしい。今じゃ世界中を飛び回って仕事をしているらしいけど。
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