嘲笑のガルバ
「そんな脆弱な肉体で私に勝てると思うとは。」
ガルバの無数の触手が波のごとくダイナミックに動く。美豆良の目下、屋敷政則の体は散り散りに切り刻まれた。頭が体がMR画像のスライスのように舞った。
「さぁ、その体のどこにいるのかな・・・脳かな、それとも心臓か。」
「ムゥ!」美豆良は飛んでくる血液から視界を守るために手をかざしたが、驚いたことに血は一滴も飛ばなかった。『次元戦だよ!』店長が叫ぶ。
「そうか、魔物には魔物の戦い方があったか。」
屋敷の体を囮にしたのは目くらましだ。気がつけば美豆良は目の前に展開し始める異世界を外側から見つめる。移動シャフト内に巨大な闇が誕生していく。
気温が軽く10度以上低下した感覚。黒い積乱雲のような電気を帯びた蒸気が溢れ出し、突風と稲妻がシャフトを吹き上げる。美豆良も自分の次元の襞に潜り込み、壁にへばりつきそれから逃れた。出現した闇は濃く、質量はそれこそブラックホールのように無限に感じられる。
カバナもテベレスも飲み込まれ、美豆良には何も見えなくなった。
以前、魔物の次元を体感したのは美豆良ではない。鬼来マサミの方だった。
初めて目の前で、その力を見せつけられ、興奮が抑えられない。これが、魔物の力か。
「宇宙人類が把握して利用する次元空間と、魔物が作り出す異次元は似ているが最も異なるものかもしれないな。」美豆良のつぶやきに店長が同調した。『確かに、すげぇぞ!こっちの次元レーダーにも歪みが生じている。かなりなエネルギーだな。それにどうやら、カバナを包み込むことに成功したぞ。』
しばらく黙り、それから慌てて。『おっと、美豆良!このビルに外部からも接触があったぞ!・・・どうやらマサミちゃんじゃないかな。』
「マサミ」美豆良の心に乱れが生じる。「マサミをここには来させるな。」
『わかってるって、任せろ。』
その答えを聞き終わると美豆良は魔物が作り出した異次元に勢いよく自らを投じた。
裕子とコビトと
コビトは渡された鍵束を使い、特別室と呼ばれる部屋に足を踏み入れた。
手探りで壁の懐中電灯を探す。
「・・・お母さん」暗がりで呼びかけると確かに人の気配がした。
「お母さん?」もう一度、呼ぶ。同時に背伸びした指先に目的のものが当たった。
「・・・ハヤト・・・なの?」声はか細い。だけど田町裕子の声だった。
「待って。今、明かりを点けるから。」コビトは懐中電灯をつけた。光の中心に裕子の姿が浮かび上がる。特殊な趣味の客のための特別な部屋だ。裕子が座らせられていたのは手術台の上に有田が敷いたのだろう、マットレスの上だった。室温は低い、従業員が着るバスロープを服の上から羽織っていた。鏡張りの天井には巨大なライト。壁一面には白衣や手術道具のようなものが下がっている。実際は分娩台なのだが、コビトにその違いはわからなかった。コビトの知識の中では旧式な実験室と分類された。ここは病院?マサミさんは看護師なのかな。
「大丈夫?・・・母さん。」おずおずと歩み寄る。裕子の顔はまだ腫れている。自分を逃がすために殴られたのだ。裕子が手を伸ばしたのでコビトはためらいなくその手を取る。すぐに裕子が強く握り返した。そして「あなたは・・・ハヤトじゃないのね?」
コビトの頭は真っ白になった。手を離そうとしたが「いいのよ、いいの・・・わかってた・・・私。」裕子はもう片方の手を重ね、コビトの手を包み込んだのだ。
「多分、本当は最初から・・・わかってたんだと思う・・・。」
「・・・わかってたんだ?」コビトはやっと声を出す。裕子はこくんとうなづいた。
「あの人が」そう言って裕子は身震いした。「あの男は・・・人間じゃない、いえ、宇宙人なのよね?信じられないけど、そうとしか言いようがない・・・そうなんでしょ?何か、私の頭をいじったのね?それもあると思うけど」僕も。僕もそうなんだ、あなたたちからしたら宇宙人。いや、寄せ集めからつくられたそれですらないものなのか・・・。悲しくて目が熱くなる。
うつむくコビトの頭がそっと抱き寄せられる。懐中電灯もタイル張りの床を照らすしかない。
「私、自分がハヤトを殺したんじゃないって・・・信じたかったから。私、狂ってしまいたかったんだ・・・だから、自分なの。自分のせい、あなたたちのせいじゃない・・」
あなたが殺したんじゃない、そう言いたかった。
「僕は・・・」「ありがとう。」田町裕子はハヤトの言葉を封じるように硬く抱きしめる。
「あなたが誰であっても。私、ハヤトにできなかったことができた。あなたがいなかったら、私もうとっくに死んでる。ハヤトの代わりにあなたを守れた・・・」
裕子も泣いていた。「ありがとう・・・ありがとう・・・」
不意にこみ上げてきたものがあった。糸が切れたように、ハヤトは声をあげて泣いた。
抱きしめられ背中をさすられ、優しく言葉をかけられるハヤトはただの『子供』になる。
母にすがりつくただの子供。そして裕子もただただ『子供』をいとおしむただの『母親』だった。
最上階
「どうなってるんだ?」マサミが慌ただしく店長に駆け寄っていた。通気ダクトから遊民の一人に案内されて最上階に最短で到達できたのだ。狭い道だがスリムな体なら造作もない。ワンフロアの最上階には生き残った遊民たちが集まっていた。中には先ほどの戦闘で作った傷を治療中の者もいるが大したことないらしい。死んだものは誰も気にかけない。誰もがひと暴れして、特に緊張するでもなく、くつろいでいる。すでに一杯飲んでるもの、この星のゲームに興じている者もいる。大部分がマサミと顔見知りだった。普段は表に出ず、裏でメンテナンスや用心棒をしている者たちだ。それぞれ歓迎の意を表して手を挙げる。酒を勧める者もいる。
マサミはかつて自分の村にいた劣化体と呼ばれた者たちを思い出し、彼らに優しかったからだ。
「エントランスに受付の子が倒れていた。」「死んでたろ?」店長の返事はまさに遊民らしい。
「閉店が間に合わなかったからな、あいつと鉢合わせした。まぁ、仕方がない。」
最上階の外部に向けた窓のどこをとってもそこはモニターよろしくエレベーターシャフト内が映し出されている。かといってどれも似たり寄ったり、黒々とした闇、渦巻く闇だ。
「美豆良はあの中だ。」店長はそう言って、手元の次元レーダーを確認する。
「それにしても・・・驚いたな。俺たちが普段会っていた美豆良が実は魔物だったなんてよ。」
「美豆良はあの中か。」マサミは全面に映し出された映像の前に立つ。「本物の肉体の方だ。」
「ああ、おそらく大丈夫だろう。魔物の扱いには慣れてるんじゃないのか?」
上の空で請け負う。関心はそこにないのだ。マサミも手持ち無沙汰で隣に並ぶしかない。
「俺たちが空間を歪めて切り離すとき、普通は重力を使う。帯電した原子とか、磁力でも可能だが膨大な量が必要だからな。あれは。」隣を見る。「何がエネルギーなんだろう?」
「この星の常識で話を合わせるとすると・・・魔力だな。」
「魔力?・・・霊力、霊感ってやつか?死んだ人間の残留思念があんなに集まるのか?」
「さあ。」肩をすくめた。マサミにだってわかるわけない。