どことも知れないどこかで連邦の遊民とペルセウス人が会話をしていた頃。
同じようなどことも知れない空間に話は移る。
ペールピンクの部屋だ。
原宿の少女たちなら甘甘ロリータの装飾だときっと言うだろう。
ピンクグラデーションの唐草模様に覆われた天蓋つきベッド。寝具はコットン、レース、リボン、サテンに更紗どれもトーンの違うピンクがこれでもかと。
枕元の大きなぬいぐるみのクマだけは少しだけ黒のゴシックロリータ調をまとっている。
そのベッドのすぐ脇にやはりサーモンピンクベルベットの可愛らしい華奢な寝椅子。
その足元から部屋の隅まで広がるクッションの山。おかしなことといえば入り口はどこにもない。壁には床まである窓が3つ柔らかなシフォンと厚いベルベットのカーテンに覆われているだけだ。外はうかがい知れない。その窓の真向かいに寝椅子と小さなテーブル。花びらをかたどったランプ。家具はそれだけ。
ピンク渦巻くその部屋の寝椅子に女の子が一人、足を揃えてきちんと座っていた。
白い壊れそうに薄い陶磁器の茶器でどうやら紅茶を飲んでいる。
その子の着ているものは短い、白いスリップのような・・・しかし、素材は光沢のあるプラッチックのようでもあり・・・それなのにとても柔らかい生地だとわかる。その服の裾に装飾はない。
いたってシンプル。少女は目の前のレースとシルクのピンクの山にはんば埋もれて横たわる大きな人形を見つめているのだった。ただし、その人形の胸はかすかに上下している。
「この人・・・カバナ人ではないのね。ってことは、ヒューマン・ボヘミアンなのかしら。」
『メンドウなことを頼んですみません』ピンクの壁紙につかの間、青い影が差した。
「ううん。いいの。」イリト・デラは花をかたどったカップをお揃いのソーサーに。かすかな軽い音がなる。「でも・・・この人。意識がない、それよりもまるで魂がないみたい。」
『最初からニクタイはあそこで滅びるヨテイだったようだ・・・』青い声が答える。
「そう?・・うん。次元ね。」デラは蜜色の髪と瞳を上にあげた。
「この人、きっと次元に避難したのね。肉体はあなたがこうして助け出した。」
『ワタシが予定外のことをしたわけですが。とにかくシんではないのだから・・・ジゲンから戻せば、モトどおりになるはず・・・どこにカクシたのか。』
「この人、ひょっとして自分の体が無事なこと、知らないんじゃない?厄介だわ。見つけ出せれば・・あなたになら大した手間ではないのよね。そうね、元どおりになるといいわね。」
少女は大して熱もなくそう言いながらテーブルクロスに両肘を置いた。
「ねぇ、質問。私の守護天使さまの命令だったの?この人を助けること?」
返事はない。子供は予想通りと笑って息を吐いた。
「いいわ。どっちにしてもきっともう天使さまは知ってるしね。それにあなただって・・・誰がどこに隠したのか・・・当てはあるんでしょ。」
『ワタシが知ってるなら、アナタの守護天使だってきっと知ってますよ。』声も笑い返す。
「あなたの能力。こうして私のプライベート次元にだって出入りできる。」
『カンゼンじゃない。』「そうかしら?本気を出したら・・・」
『では、タノミます。』唐突に声の気配は消える。
果たしてどこからどこまでが守護天使の意図した命令なのか。
アギュレギオンがデラに接触できるということは・・・彼のさらなる進化、臨海を表すはずだ。
そのリスクはデラにもわかる。もろ刃の刃。おそらく守護天使はそれを利用している。
「アギュの逃亡ですら範疇のうちなの?」問いかける返事が得られないことは初めからわかっている。自分は守護天使のDNAから作られ、同じ能力を持つ。理論上、同じ思考回路も。
しかし、若く経験不足の自分には未だ守護天使の全ては理解ができない。
果たしてそこまで冷徹な割り切りがいつか自分にもできるとは思えない。
正直、デラは思いたくないのだ。
少女はカップに残った紅茶を飲み干した。甘い果実茶のはずがそれは少し苦い。
「どうした、勇二。」基成素子が探るような目を向けていた。
ああっと、勇二は身を震わせた。第3惑星における現実では彼は霊能者。
今は弟執事のいれた紅茶を飲んでいる。セイロンティー、深みのある渋さが別次元の記憶を反映している。「何か、感じたのか?あんたの守護天使からの・・・霊感でも?」その唇には冷笑が浮かんでいる。監視者。勇二はいつも思う。妹である素子は自分の守護天使側ではないのではないのかもしれないと。この女の目は自らの上司を通り越し、常に中枢に向いているのだ。
「なんでもないわぁ。少し自分の部屋にいただけよぉ。」
勇二が少し口をつけただけでカップを置いたので弟である牡丹は悲しそうな顔になる。それを見た勇二は茶受けのマフィンに続けて手を伸ばした。
「おいしいわよ、牡丹。」「ありがとう、兄さま。」
執事の扮装に身を固めた弟の顔がパッと明るくなった。
新装開店した霊能者事務所はこじんまりとしている。
前のような豪華さはなく、機能的で事務的だ。場所が高輪から吉祥寺に移った仮住い。
マンションの最上階をぶち抜きで買った急ごしらえだ。間仕切りといえば、広い玄関脇の受付にあるだけ。新しく雇われた受付の女の子は今日はお休み。相談の予約は入れていない。
以前の基成御殿を思わせるのは勇二と素子の向かい合う家具だけ。合変わらずの大きな作りである。素材はふんだんに黒皮と黒檀。平均的日本人から見たらパースが狂った巨大な応接セットに座っている二人だった。
部屋の天井はとにかく高い。屋上から明かりとりが応接スペースだけ、床に市松模様を刻んでいる。断熱曇りガラスからの柔らかな光。
「むやみに自室に閉じこもることは賛成できないな。」
そう言う素子は何も飲まず食べていない。
「あんただって・・・」続けて口にしたスコーンをこぼしながら勇二は素子を睨む。
「体の中にあんたの部屋を持ってるじゃない。寝るときにはそこでくつろぐでしょ。」
「まあな。」まだどこか疑わしい顔をしている。注意、注意!
「我々だけの時ならまだいいが、それでも控えたほうがいい。あらぬ誤解を生む。」
誤解ってなによ、誰によ、という言葉を飲み込んだ。
この素子は侮りがたい。600光年先からデラの守護天使イリト・ヴェガがささやく。用心しろ、決して気取られるなと。直轄の部下であるゾーゾーをイリトも信用していないのだ。
基成勇二の中にイリト・デラが作り上げた次元に素子は入れない。
そこに隠したものは絶対にわからない。
デラがホムンクルス素子の中のゾーゾーに侵入できないように。
今の中枢の技術では。今の所は不可侵を難なく侵せるのはアギュだけといっていい。
更なる技術が解放されたとしてもデラの守護天使の方が優位にある限りはまだ大丈夫。
「ほんっと、ケチねぇ。ちょっとだけ、お花畑の中で遊んでいただけじゃないの。」
勇二は、不自然にならない程度に笑みを浮かべた。
アギュレギオンは素子の部屋など覗きたくもないに決まってる。
かつて素子に収まる前のゾーゾーはアギュレギオンのDNAを我が遺伝子に臨ませた。願いむなしくそれは何も実りをもたらさかった(受精卵から育てた子供は臨海せず、廃棄された)・・・ということをデラは守護天使を通じて知っていた。ゾーゾーはこの果ての地球へ来ることに志願することでイリト・ヴェガを非常に驚かせていた。その上、地上部隊を希望するとは。汗などかかぬホワイトカラーがわざわざ泥仕事を望む。
そのことはつまり、ゾーゾーは未だにアギュレギオンに・・・あるいはそのDNAを再び得て臨海進化体の子供を得る可能性を試すということに・・・いまだ未練タラタラということだ。
何も知らぬ素子がさもあらんとばかりに鼻で笑う。
「ハン、お花畑?なるほどな。勇二らしい。」
「そうよぉ、愛しのお花畑。」見せられないのが、ざぁんねん。
ゾーゾーの恋しいアギュレギオンがさっきまで訪れていたピンクの小部屋だ。
今度こそと弟が丹精込めておかわりを注いだ珠玉の紅茶を勇二は心から味わう。
デラのお花畑・・・ホムンクルスの私的次元に接触できるのは・・・オリオン連邦にただ一人の臨海進化体、アギュレギオンだけ。
弁護士とDV男
苦い思いで男は離婚届に署名している。怒りで手が震えた。弁護士が差し出すハンコを叩きつけるように押す。その直後、彼の手の下から紙が素早く抜き取られた。
「いや~、全くよかったですよ。」へらへらと弁護士が紙を素早く畳み、ファイルにしまってしまう。「では、もらうものをもらいましたので、私はこの辺で・・・」
「おい!ちょっと待て。」口調がきつくなった。離れたレジに手持ち無沙汰で立っていたウエイトレスがこちらを伺うのがわかる。平日、昼間の喫茶店、客が数えるほどしかいないのが幸いだ。駅前のこの店は男が日頃、常連にしている。ちくしょう、こんなところでハンコを押させやがって。たった今、元妻の座を確約された女の顔が浮かぶ。
「俺は、俺は・・・ちょっと手が当たっただけだって言ったはずだ。」とっさに声を潜めている。「はいはい、そうですよね。」さっきから無用に神経をいらだたせるこの弁護士だが、何を思ったのか急に身を乗り出して小声になった。「当たっただけ、それだけですか。それで鼻骨が折れちゃったんだからほんと偶然って怖いですよね。」ここで相手の目付きが変わるのを男は見る。「3度目の正直ですか。あざ、傷、骨折、こっちは診断書も写真もバッチリ揃ってるんだ、悪あがきはやめるんだな、屋敷さんよ。」その声の今までとのギャップに唖然とする。
「あんたの前の奥さんからも裏は取れてる。」
「裕子が・・!」思わず、声を飲む。身を乗り出した弁護士の顔はそんな男の顔を捉えて離さない。つるりとした肌にオールバックの優男なのだが冷たく凝視する三白眼には迫力があり、相手に口を挟ませない。赤い滑りとした口元といい気味が悪い。
こいつは本当に弁護士なのか。そうならば、かなりの修羅場をくぐった奴だ。
「これ以上、ゴタゴタ言いやがったら法廷でその裕子さんに証言させるぞ、こら。」
ニコニコと笑顔ですごんでくる様子はまるでヤクザだ。
「・・・あいつは。」男は本来は器が小さい、視線を振り切れない。それでもどうにか「あいつが絶対に、そんなことするもんか。」声が情けなく最後に掠れた。
「おや、そうでしょうか。」弁護士は再び、正体がつかめない笑いをまとって改めて男を開放するかのように椅子に腰を戻した。「確かに裕子さん、でしたか?彼女は乗り気ではないようでしたよ。だけどあなたがあの人に何をしたのかは一目瞭然でしたから、それだけで私にはもう充分わかりましたね。彼女はあなたの名前を聞いただけで、すぐにわかりやすくパニックになりましたからね。いやぁ、一旦うえつけられた恐怖ってやつは・・・消えないもんですよね。それを見た今のご主人が激怒したわけです。」
「あいつ・・・再婚、したんですか。」「おや、知りませんでした?籍は入れてないようですけど、なんですか、内縁っていうんですか?ご一緒に住んでらっしゃいますからね。」
「そうなんですか・・・」「どうやら、全くご存知なかった?おやおや一切、連絡はお取りになってない?。そりゃ、無理も無いでしょうねぇ。婚姻中、振るわれたんでしょ、DVたっぷりと。それじゃね・・言ってましたよご主人、裕子が許してもそんな外道は俺が許さない、男のクズだとね。」
それを聞いて男は、屋敷政則は顔をしかめる。「関係ないでしょ、そいつに。」
「いやいや、裕子さんの旦那さんはそうは思ってないわけです。たとえ裕子が証言を渋っても俺が証言させる、とこう言うわけです。」それを聞いても男の顔には余裕があった。
「はっ、できるわけない。」
「おや、大した自信ですね。」そう言うとぱしんとファイル叩き、カバンに放り込む。
「まぁ、いいです。これをいただきましたからは。証言するかしないかは、もうそれほど重要じゃない。」立ち上がる弁護士を屋敷は見上げる。腹立たしいが署名はもうしてしまった。それを取り返そうにも相手は妙に隙が無い。
それに・・・もともと2番目の妻のことは。
最初の家庭から逃げることに必死で、たまたまゲーセンで知り合って深い仲になったのを幸いとくっついただけのことだ。当初は女が未熟で男性経験がなかったことが新鮮で気にいっていた。優しくしてやったら、すぐに男しか目に入らなくなりちょろいものだと思う。
相手側の外野の反対を押し切り、とっとと離婚し、ともかく慌ただしく籍を入れた。
全て言いなりの女にだんだんと飽きが出始めた頃・・・女は妊娠した。
女は歓喜し(当初は男も喜んだふりをする)やがて当然のごとく・・・女の日常は男中心の生活から腹の子供へと移っていった。最初の結婚の時もそうだったのだが、ないがしろにされることには男は我慢がならなかった。つわりがひどいから飯が弁当が作れないとか、4か月検診があるから車で送ってほしいなど論外。挙句に二人の子供なんだから少しは協力するのが当然じゃないかとか、自分を愛していないのかなどとを責められるなどは言語道断だった。男に言わせると勝手に妊娠し、それを生むと決断したのは女なのだ。あくまでも男に迷惑をかけないことが前提で。だから男は妊娠を黙認してやった。その男に感謝するどころか。我慢は簡単に崩壊する。だから初めて女が男をなじった時、ためらいがなかった・・・以降はちょっとしたことで殴った。
しかし、最初の妻と次の妻が違ったことは、2、3回手を挙げられだけですぐに実家に逃げ込んだことだった。それは全く想定外だった。男に反感を持っていた女の両親が保護者づらして出張ってきたことで男は一気に白けてしまった。目を吊り上げ、何を大騒ぎをしているのかと思ったが。もちろん、面倒臭い目の前の弁護士も相手の親が差し向けてきたものだ。
女には急速に執着がなくなってきたので離婚も仕方がないと今は思う。
ただ・・また、金がいる。それが痛い。
裕子が再婚したならもう生活費は送らなくて済むはずなのだが。
「裕子のやつ、籍を入れないのは俺の金が目当てなのか。」
「どうですかね。」領収書を手にハキハキと弁護士が答える。
「どっちかというとお子さんのためじゃないですか?名前が変わりますからね。それに・・」
勢いよく立ち上がりカバンを持ったために言葉が一旦切れる。
「相手が再婚したとしても、お子さんがあなたの子供であることは変わりませんでしょ。ダメですよ、相手がいらないと言わない限り、成人するまではお子さんの養育費は払わなくちゃね。今年から小学生になったのはご存知でしょ。お母さん似かな、かわいいお子さんじゃないですか。」
屋敷政則は呆然とレジへと向かう弁護士を見送った。
自分に子供がいたことをたった今、思い出したかのようだった。