MONOGATARI  by CAZZ

世紀末までの漫画、アニメ、音楽で育った女性向け
オリジナル小説です。 大人少女妄想童話

スパイラルワン-2-2

2009-04-18 | オリジナル小説
綾子は気になって仕方がなかった。
本家のお屋敷跡へと出て行った男。小さい娘・・確かユリと言った・・を連れて遠ざかる後ろ姿を今もつい身を乗り出して見送ってしまった。それも、男に気付かれぬように隠れるように。それで母に見とがめられてしまった。
綾子は大きなお腹を抱えて帳場のイスにふうふうと腰を下ろした。
「みんさい。そげなお腹で身イ乗り出したりするから。」母はそれでも熱い番茶を入れてくれた。「もう産み月なんだから。あげな圧迫するもんでなか。」
大きなお腹が嫌でも目立ち始めた先々月から、帳場へは出なくてもいいと夫からも言われていた。しかし、小さいとはいえども旅籠の老舗旅館の若女将である。一応。と、綾子はお腹をさすりつつお茶を飲んだ。
なんでこんなに気になるんだろう。挨拶は母である女将が行った。綾子は男が手回り荷物を持って母の後を付いて部屋に上がるのを板場からチラリと見送っただけだ。
最初は幼い娘と二人旅であるとただ一人の仲居(これは義理の妹であった。)から聞いて興味を覚えただけだった。
娘が思ったよりも小さかったのも胸を突かれた。自分も母になるのを指折り待っている身であったから。妹によると「奥さんは亡くなったらしいよ。」そんな報告も一因かもしれない。「ちょっと良い男じゃない?」
色々あって離婚調停中である妹は興味津々で、その後も続々と報告をしてくれる。義理の関係であるので実際は綾子より3つ上でに当たり、既に三十路に片足を突っ込んでる妹はとても子供が2人もいるようには見えない。浮気者の旦那とキチンとした暁には実家に預けている子供を引き取り、兄が婿入りしたこの家で働くことが既に決まっている。まさか早くも後添えに入るつもりなのかと綾子が肝が冷える程の熱中ぶりだった。
まるでその為の身上調査のようである。
年齢、家族構成、出た大学や出身地は勿論のこと。
「娘さんは、障害があるみたいね。」とか。
「38で会社を興したらしい。」とか。
「この辺に住む家を探してるみたい。」などと。
よくも恥ずかしげもなくと言うぐらい、毎日聞き込んでくる。困りながらも、生来の育ちの良さから丁寧に説明する男の面長な色白の顔が浮かんでくる。綾子は男に失礼なのではないかとやんわりと諌めたが、妹にはさして影響は及ばなかったようだ。
今度は綾子ではなく、実の兄である夫や父や祖父を相手にしきりに話題にし出した。
本家の屋敷跡と呼ばれる裏山の中腹の広い土地に男が興味を抱いてるらしいと。
父は持て余していた裏手の荒れ地が金に換わるかもと身を乗り出したが、祖父は難色を示した。曰く「あそこは鬼門じゃから。」
「しかし、父さん。」父は渋る親を説得に掛る。
「あそこはいつまでも売れんし、税金もかかるし。父さんだって今の竹本の内情は知ってるやろ?あそこが売れたら、露天を新しくできる。」
祖父は容易に首を振らない。婿の身の夫までいつの間にやら義父にちゃっかり味方をしている。
「そうですよ。設備を新しくしたら、観光協会からもっとお客を廻してもらえますよ。」
「団体客も扱えるし。」
近隣は旅籠町であったが戦後、立ち行かなくなった旅館も多い。
それはわかると祖父はモゴモゴと歯切れが悪い。
「本家跡って、あのお化け屋敷?」綾子はつい口を挟む。
父と母は「綾子!」と声を揃える。慌てて泊まり客に聞こえたらどうすると言う仕草。
「だってほんとのことじゃない。」と綾子。子供の頃、友達と徒党を組んで押しかけては
逃げて帰った記憶が蘇る。かといって、何が見えたわけでもなかったが。あれは従姉妹や再従兄弟が揃うと行われる真夏の恒例行事だった。
「今は本家は松本に移っとるがの。」祖父は重い口を開く。
「お前の大伯母さんが亡くなっとる。」
「何にしても、もう戦前の話でしょう?」能天気な夫。
「それに、まだほんとにあそこを買ってくれるかはわからないんでしょ?」
私はまとめに入る。
「今日、見に行くって。」妹は得意そうに教えてくれた。


そして、今。
なんで私はあの男が気になるのか。なんだか、男を見ると落ち着かない気持ちになる。
大きなお腹をして。夫のある身で。これは恋ではない。
どちらかと言うと。
不安?綾子はため息を付いた。
うまい話を持って来た、詐欺師?若くして妻に先立たれた運のない男。その不幸に伝染するような感じ?どれも違う。
こんな気持ちを抱いてるのは自分だけらしかった。
驚くほど家族は・・旅館竹本の人々はたった一人の逗留客である男に心を許してしまったらしい。口を利かないという、幼い子供を抱えてる哀れさか。その娘は整った顔立ちのお人形のようにキレイな子だ。それも不憫と評判である。
しかし。と、お腹の子が中からポンと蹴った。綾子は顔をしかめて立ち上がる。
子供もなんだか落ち着かない。予定日はまだ2週間ほど先だ。町中の病院の予約は済んでいる。いつ何があってもいいように若夫婦の部屋には入院セットの入った大きなかばんも完備している。
綾子はお腹を擦りながら話しかける。子供をあやすようになだめながら、勝手口に向った。
「ちょっとその辺、散歩してくる。」
「ぽっくりなんか履くんじゃないよ。」すかさず母が後ろ姿に声をかけると、部屋を片づけに行く妹の後を追って二階の階段に消えた。
もうすぐ、夕食の膳の時間である。
外に出ると、裏山の空は真っ赤な夕焼けに染まっていた。
何も、こんな時間に。午後から、見に行かなくてもいいじゃない。もう、黄昏だ。
逢う魔が時じゃない。そう思うと身震いが出た。
あそこホントにお化けが出るのかしら?
噂によると若くして死んだ大叔母の霊が出るとか。
親戚なんだけど、お化けはやっぱり怖いわ。
山の上に宵の明星が瞬いている。まだ輝かない白い半月は中空に所在なく浮いている。


その時、ある予感がして綾子は後ろを振り返った。国道に面してる旅館の表を通るトラックを避けながら。
国道の向こう、草むらの中の一本道の先に人影が現れた。
小さな人影を従えている。
竹本の客にまちがいなかった。
なんの気なしに国道を渡った。車は多いが切れ目は無数にある。カーブをよく見て渡る。子供の頃から、渡り慣れているのだ。コツを掴めば容易かった。
思えば。まだ、綾子はこの客とまともに顔を合わせてない。
幼い子供の方とは1度だけ投宿した次の朝に偶然洗面所で顔を合わせ、寝癖の付いた髪を鋤いてやったことがあった。母親がいないからであろうか。その時、ユリと言う子供は不思議そうに綾子の腹に興味を示した。綾子は己の膨らんだお腹の中にいる赤ん坊のことを簡単に説明してやった。するとユリは綾子の目を見上げて、本当に可愛い笑顔を浮かべた。おずおずとしたその手を導かれるるままに、ユリは綾子の腹に耳を押し当てたのである。
そんな子供の父親に未だに会ってないことの方がおかしいのだ。
まして祖父が本家から押し付けられたあの土地を買ってくれると言うのだ。もしも、そこに住むことになるのだとしたら、キチンとした挨拶の一つもした方がいいとその時綾子は軽い気持ちで思ったのだった。
間接的に散々聞かされた噂の主にも勿論、興味はふくれあがっている。
しかし、渡る時に小走りになり息切れがした為そこで待つことにする。
綾子は営業用の笑みを浮かべながら、近づいてくる大小の影をジッと見つめた。

その刹那。錯覚だろうか?。黒い人影がやけに黒く、蒼い鬼火に包まれているような気がした。目をこらす。夕暮れに染まる山肌を背景に暗い人影が近づいて来るだけだ。
突然、眩暈とともに背筋が震えた。
綾子は、落ち着かない思いに捕らわれる。漠然とした恐怖。自分でも説明できない。
このまま、踵を返して帰った方がいいのではないか?
でも、子供は私に気が付いたようだ。手を振ってる。反射的に、機械的に手を振りながら綾子は自分の感覚を持て余した。男が近づいてくる。鼓動が激しくなる。何故か、冷たい汗が額に浮いてきた。
子供がこちらに走り出した。男は遠くからこっちを認める。端正な顔が、いやに。
なんだか。こちらに迫るように感じられる。
汗はのど元を伝う。男の目が。目が。蒼い。綾子は再び悪寒に震えた。蒼い目が光る。
この人、怖い。なんだか、違う。他の人と。男が燃え上がるように見えた。蒼い炎に包まれて。歩み寄る。嫌。怖い。来ないで。
綾子は無意識に足を引いた。子供が甲高い声を発したのがわかったが、綾子は身を返した。あえぐように足を運ぶ。腹の子が暴れている。痛い。腹を押えた。
けたたましいクラクションが鳴り響き、綾子の視界は真っ暗になった。
急ブレーキの車が倒れる綾子の腹に突っ込んで行った。



「あぶない!」アギュは無意識に動いていた。気が付くと車は大きくカーブを切って反対車線に止まっていた。奇跡的に対向車はそのギリギリで止まっている。車内の運転手が目を白黒させている。確かに一瞬、はね飛ばされたはずの妊婦は道の端に移っていた。
男は綾子の体をそっと抱きあげようとしたが思い直した。動かさない方がいい。
綾子は気を失っていた。
急ブレーキに驚いた女将が飛び出して来た。「綾子!」
隣近所からもチラホラと人びと。
「救急車を呼んで下さい。」アギュは緊迫した声を出す。
「あー!」ユリが追いつくとしきりに道路を指さす。
道路の上に水が流れていた。血が混じっている。
水は綾子の足の間を濡らしていた。
ズックが脱げた靴下だけの足先が赤く染まっていく。
「あー!」子供の悲しげな叫びが響く。
奥へ向けた女将の慌ただしい悲鳴に板場から綾子の夫が走って来る。
「診療所へ!その方が近い!」

綾子は3軒先の町営の診療所に運びこまれた。
「先生、破水した!」
おっとりと出てきた老医師は綾子の夫の悲鳴に、あわてて診察室に引っ込み薄い手袋を探した。
「偉いこっちゃ!救急は?」
「今、呼んどります!」外から竹本の祖父も怒鳴り返す。
わしは専門外だが取り上げたことはあるぞと、医師はぶつぶつつぶやきながらのぞき込んで絶句する。
「頭が出とる!こりゃ、産まれてしまうぞ。」」
「市から30分はかかる!ま、間に合わん?」
「ここで産むしかないかもしれん。」青ざめる。
「先生、お願いします。」女将と夫、父が祖父が妹が先生を取り囲む。
医師の指示で看護婦姿の老女が奥へ駆け出す。慌ただしい声で自分の娘を呼んでいる。
娘も看護婦で市立病院勤務だったが今日は非番だった。
「何をすればいいですか?」
「なんか手伝えることは?」
口々に叫ぶ身内に、落ち着きを取り戻した老医師が告げる。
「男はみんな、外へ出ちょれ。」

真っ青な顔の綾子が診察室のさらに奥に運び込まれ、肉親達も支え合いながら付いていった。邪魔だと言われた綾子の夫と父と祖父は所在なく診察室のベッドに腰を下ろした。外では駐在が車の運転手に話を聞いている。当たったわけでなく、車に驚いて倒れたらしいと言うのが大方の目撃者の意見だった。申し訳ないとひたすら頭を下げていた初老の運転手は最初は首を傾げていたがそのうち自分の記憶を塗り替えることにする。確かにはねたと思ったのだが、違うに越したことはない。
その他の隣近所の人々は遠巻きに声を潜めて、心配顔で道路の果てを見つめている。国道が家並みを外れて山肌を縫って木々に吸い込まれて行く先。救急車の音もまだない。


狭い待合室には青年と少女だけが残された。アギュはユリの様子を痛ましそうに見た。座ることも忘れたように、ベンチに腰掛けた彼の上着の袖を固く握りしめている。
「かわいそうに。」少女が訴えるような目で見上げる。「あー」
アギュは首を振る。「ダメです。ワタシ達はこれ以上は干渉してはいけないんです。」
彼は慌ただしい奥に目を向けた。声を潜める。
「お腹のコドモは死んでいます。」ユリと呼ばれる少女は納得しなかった。ぐいぐいと引っ張る。しかし、アギュの顔は暗いままだ。
「ハハオヤだけ助けるのがやっとでした。」車は確かに綾子の腹に当たったのだった。
やっと、ユリは涙の盛り上がった目を青年の膝に伏せた。
声を殺してるが口の震えが伝わる。手はまだ裾を固く握っている。
彼はその手を外したりはしなかった。静かに手を挙げるとすまないと言う精一杯の気持ちをこめて、その髪を静かに撫でた。

スパイラルワン-2-1

2009-04-18 | オリジナル小説
            プロローグ・ゼロ


「ユリ。」
青年は少女に呼びかけた。女の子は草むらを熱心にかきわけている。虫が飛び立つ。
すぐに走って来た。手の中に大事そうに何かを隠して。
少女は青年にそれを見せる。赤い宝石のような実をいくつか。汁で手が染まっていた。
「ノイチゴ。」青年は教える。「食べられます。」
青年は年若く背が高かった。Tシャツとジーパンだけの簡素な服を着たひょろりとした体の上にやさしくためらいがちな顔が乗っていた。
彼の言葉で少女は無言ですぐに口にふくむ。複雑な表情。
「微妙?」青年は笑う。「ほのかな甘味ですから。まだ、野性味が強いですか?」
少女が実を差し出すと青年は首を振った。
「ワタシはいりません。みんな食べていいんですよ。」歌うように話しかける。
「アワのように消えるでしょう?」彼は口に出せない少女の触感を口にする。
少女は彼が食べなかった実を大人しく口に含んだ。
歩き出す。
草深かった。蔓延った蔓の下の土塀の跡を探りながら進む。獣道が途切れ途切れに続いていた。
「トンボです。」
少女は手を出して掴もうとする。「欲しいですか?」
青年が手を差し出すと飛行虫がためらいもなく、指先に止まった。
「静かに。そっと。」差し出す。少女はその透明な羽をおそるおそる撫でた。
青年がトンボを放つと少女はその後をしばらく目で追っていた。
「ココみたいですね。」
青年の呟きに慌てて追い駆ける。
錆びた門柱がすさまじい雑草に丈高く覆われていた。
青年は何でもないように門に触れた。鉄の門は軋みながら開いて行った。
草々が音もなく左右に分かれる。二人は草のアーチの中に踏み込んで行った。
しばらく進むと廃屋が現れた。木造の洋館だったらしい。
今はペンキが剥げ、窓枠も壊れガラスのないそこから青々とした草が吹き出している。
屋根は辛うじて残っているようだったが壁はところどころ、板が腐って穴が開いていた。
ひさしに近づくと、コケ深い香りが感じられた。
青年はしばらく自分のうちの声に耳を傾けるように黙ってその建物の前に立ち尽くした。

「こっち、こっち!」ふいに声がした。見上げると若い男が崩れかけた2階のテラスの手摺に腰掛けていた。「なかなか、来ないからさぁ。眠りかけてたよ。」
青年は上に手を振る、少女に笑いかけた。
「まちがいない・・みたいですね。」
走り出した少女は大胆に正面玄関だったドアをこじ開けようとする。入るつもりらしいが取っ手がなかった。青年が後ろから長い手をのばし、そっと触れる。大きなしみだらけの2枚ドアは軋みながら中へと開いた。枯れた蔦がちぎれる音と共に。クモの巣から虫の残骸が散った。
「あぶないぞ、ユリ。」ドアを開いたのは背の高い大柄な女だった。「気をつけろ。」
言葉は優しい。ためらいなく踏み出そうとする少女をやさしく制す。
少女は目の前の女の手にそっと自分の手を絡ませた。女は青年を見やった。
「どうやら、算段は付きそうだな。」
「小細工しなくても売ってくれそうだってね。」2階にいたはずの男がいつの間にか、後ろから玄関に入ってくる。「かなり、おんぼろだよ。タトラが昔の再現写真を発掘してくれているけど、そっくりそのまま修復するのは手がかかるってよ。」
「我は何も昔通りに再現しなくてもいいと思うがな。」
「できれば。」青年が言葉を切る。「再現したいんです。」
「そうか。」ため息と共に大人3人は辺りを見回した。
床は落ちて草に覆われていた。奥に崩れかけた階段が見える。薄暗い廃虚に屋根の隙間から無数に光の帯が落ちていた。色あせた壁紙は蔦に大部分、覆われている。
「・・予算さえあれば、大丈夫だろう。」
「銀河の果ても金次第ってね。」
2人の会話を制するようにユリが身動きした。
「ほら。」青年が息を詰める。2人も少女と並んで緊張に身を固くした。
壊れた階段を白い微かな影が降りてきた。白い素足がつかの間、ハッキリと見えた。
影は踊るように階段を降り、息を潜める彼らの間を通り外の明るさの中へと消えた。
青年も息もせず、目を閉じていた。すべての神経を影へと集中させて。
やがて、彼は息を吐きだす。「ユウリ・・」
彼の中で万華鏡のように意識が煌めき、彼は数秒間小さなパニックに陥る。
そして一筋の水が目尻から溢れ落ちた、しかし彼はそれを拭う事もできない。
強く手が引かれたことで、彼はやっと霧散した意識を一つにまとめることができた。
気がつけば、物問いた気な少女の目が見上げていた。
「やっぱりココにいましたね・・」
彼は晴れ晴れと笑った。涙が滴り落ちた。それは不思議そうな子供の顔をかすっては、塗料のはげ落ちた乾いた板の上に落ちて吸い込まれていった。
「あー、あー!」
少女はそれを見ると女から手を離し、小さな掌で青年に触れた。彼はされるままに屈みこむ。
涙をふき取る、小さな手の感触に青年は何度もうなづく。
「ココに帰っていると思ったんです・・」幸せそうだった。
「アギュレギオンともあろうモノが・・不覚です・・」

「・・・まったく、見えなかった。」ガンダルファはショックを隠せない。
「・・本当に彼女だった?」おそるおそる隣のシドラに尋ねる。
目を皿のように見張っていたシドラ・シデンだったが、黙って首を振った。
「見えなかったが・・感じた。」「嘘、まじ?」「なんとなく・・な。」
「やっぱり嘘なんだろ?」「嘘ではない・・・」
喉の奥でうなるシドラにガンダルファは自分の肩を見る。
「ドラコには人影のような薄い質量が見えたみたい。」
「確かにな。」シドラもしばし何かに耳をすます。
「バラキも感じたみたいだ・・・しかし、ユウリだとは確信が持てないと言ってる。バラキは大きすぎるから、この空間にあまり近づけないのだ。おぬしのドラコの方がより近かったはずだから、そっちが正しいのだろう。」
「そうか・・シドラ本当に嘘付いてない?」
「嘘などついていない。我だってちゃんと見たかったんだ。」
唇を噛む2人は、慈しみ合う傍らの親子を見つめ続ける。

アギュは尚も溢れる涙を止めようともせずにしばし息を詰めて、思いを凝集させていた。
傍らの2人の存在は頭から飛んでいる。
「カノジョは・・・閉じ込められた空間にいるのです。だからワタシ達に見ることができても、向こうにはわからないのかもしれない。まるで終わらない夢の中で同じ行動を無限に繰り返しているように・・・ワタシ達の声を届けるすべがありません。
今は・・・」
思いあぐねている彼にユリが何かをしきりに伝えようとする。
「フタリ?・・・フタリいるのですね?」彼はしばし驚きをうちに秘めて、娘の真剣なまなざしと向かい合った。そして、微笑む。「アナタにはわかるのですね?アナタはニュートロンではないけれど・・・そういう力があるのかもしれない。ユウリは特殊能力者でしたから・・・。」
それから、通り過ぎた影の匂いをかぐように消えて行った空間を脳裏に再現する。
「ああ、なるほど・・・。」にわかに彼は納得する。「混じり合ってしまったのかもしれませんね?ユウリのオカアサンもこの地で亡くなっているはずです。そのヒトの思いも彷徨っているのかもしれません。」

「どういうことだ?」シドラが割って入る。「説明してもらおう。」
シドラ・シデンの口調こそ、同じ学園の生徒だった頃と何ら変わらない。彼女に見えないように、ガンダルファはちょっと笑いをかみ殺した。
「ユウリとハハオヤ・・・フタリの思いが惹かれ合ったとしても不思議はないんです・・・オヤコですからね。ユウリの思いはそこに吸い込まれてしまったのかもしれません。だから・・・ワタシ達の声が届かないのでしょうかね?」
「・・・フン!おぬしの声なら届いて当然とでも言うのか?」シドラの皮肉なつぶやき。
「まあまあ、シドラ。」「大した自信だな。」
「シドラ、上司、上司。」しかし、ため息まじりに付け加えずにはいられない。
「ユウリはさ、アギュが好きだったんだしね・・・。」「フン!」
アギュは下を向き、ユリに語りかける。
「でも、そうだとしても・・・ワタシにはフタリがヒトツになっていることはまったくわからなかった・・・」彼は、ユリを笑って見下ろす。「きっとフタリはすごくよく似ているのですね・・・勿論、アナタもフタリにとてもよく似ているから・・・。」
ガンダルファとシドラ・シデンも改めてユリを見る。
彼らの記憶する面影が強く重なる、大きな目でユリは真剣にアギュを見上げていた。
涙を拭ったアギュが蒼い瞳を再び曇らせたので、ユリは悲しい気持ちでいっぱいになっていた。幼いながらもユリは彼を慰めてあげたかったのだ。しかし、ユリはそれを言葉にするすべがない。どういうわけか・・・年不相応に急激に成長させられる遺伝子の弊害だという説もあるが、通常よりも付加を与えられて育った子供にはこういう例が多かったのだ。
「ユリ、どうした?」シドラの声の気がかりなトーンにアギュは我に帰った。
自分に縋る小さな手を見下ろし、少女の目が涙で一杯になっているのにやっと気がついた。
彼はもう一度、かがみ込むと先ほど、ユリが彼にしたようにその涙を指で優しく拭き取った。
「悲しい思いをさせましたね。大丈夫ですよ、ワタシは。ガンダルファとシドラ・シデンもね。ワタシがきっと何か方法を見つけますから。」
青年は自分の胸に手を当てる。そこにはいつの間にか体と服を透かして浮かび上がったオレンジの光が輝やいていた。
「ここにあるユウリの欠片・・・必ず、残りの魂とひとつにします。」
ユリをその胸に抱きしめた。「取り戻します。必ず。」
「頼むぞ。」シドラがつぶやく。
「できることがあれば、なんでも協力するからさ。」
2人にもアギュは力強くうなづいた。
胸の奥で柔らかく息ずく光の確かな息吹にも。