今日は晴れ。
朝、寒い台所に立って昨夜のおでんにまた火を通しました。
鍋から噴き出す湯気越しに、
何げなく外に目をやると、窓越しに外壁に伝うツタの枯れ葉が。
朝日を受けて、わずかに残された命を、精一杯生きているように私には見えました。
久しぶりにカメラを持ちだし、一枚、二枚。
一昨日、従姉の訃報を受けました。ご主人からの喪中葉書。
そう、もうそんな季節。
彼女は10年ほど前にパーキンソンを煩い、
その後寝たきりとなっていたのは知っていましたが、
母の看守りもあり、先方からも、もうご失念下さい、との言葉、
一年に一度、葉書での挨拶は欠かさなかったとは言え、
一度もお見舞いもせぬまま、旅立ってしまわれました。
生前は彼女からご主人に対し、生まれ変わったらまた一緒になろうね、
その時は私があなたを嫁にもらってあげるから、との言葉があったとか。
それを楽しみにしています、とお葉書は結ばれていました。
ある意味、幸せな10年だったのかも、と思ったり。
親子共々医者としての立場で、家族から手厚く看守られ、
生前は人として成すことも成し、叶うことも叶え、
前夜はご主人が子供と二人でお風呂にも入れられたそうです。
添い寝したご主人が朝目覚めたときは、既に旅立たれたあとだったとか。
私事、学校を卒業するまで、彼女の両親は私の親代わりとなり、
その恩をお返しする前に他界され、
せめて彼女に、と思っていた想いも、これで潰えてしまった気がします。
寂しいな、と何かやりきれない気持。
窓の外のツタは、また来年、うんざりするほど葉を茂らすことでしょう。
落ちた一枚一枚の枯れ葉は、その肥やしとなって生を引き継ぐのかも。
人もまたそうなのかも、と思うことで、この寂しさを紛らわせています。
今日は良い天気。
母をデイサービスに送り出し、またそろそろ主夫業開始時間です。