猫爺のひとりごと

Macと写真と猫のことなどつづってます

ぎんぎんぎらぎら夕日は沈む

2021年03月08日 10時36分42秒 | 日々のこと

京都市右京区鳴滝泉谷町 西寿寺にて2019年夏

今日は母の命日。
このブログも前回から既に4年。
ずいぶん遠ざかっていましたが、その間、いろんなことがありました。
2018年には母を看取りました。

ショートステイ利用時にノロウイルスに感染、一ヶ月後になんとか復帰するも、
その後のインフルエンザ罹患により肺炎併発、緊急入院した病院では人工呼吸器を付けたまま、
一ヶ月後には、別れの挨拶も出来ないうちに旅立ちました。

単身母の元に帰省し、8年近く介護の生活を送りましたが、悔いは残りました。
人様から、よくやりましたね、とねぎらいの言葉を頂くたび、居た堪れない気持ちに苛まれました。
介護に勝利はない、とは誰かの言葉だったと思いますが、介護を経験したものでなければ、
その苦い思いは理解できないのかも。

母の晩年、見えないものた見えたりすることも多く、時々自分の世界に入ることも増えました。
それでも本人に悲壮感はなく、老人特有の鬱に陥ることもありませんでした。
逆に介護する私は精神的に疲れ果て、時にはきつい言葉を母にぶつけました。

ある深夜、母が突然ベッドの中で歌い出したことがあります。
夢を見ているのか、自分の世界に入っていたのか、思い出に浸っていたのか、
明るく、楽しげに、はっきりと声高々に歌っていた歌は、あの童謡「夕日」。

 ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む、ぎんぎんぎらぎら日が沈む

連夜寝不足気味だった私はたたき起こされ、何時だと思ってるんや、と激高。
ベッドの足元に置かれていたクッションを枕元に投げつけました。
母はきょとんとして、分かった、とだけ言いました。
その後、私は自分が取った行動に居たたまれなくなりました。

 
母が亡くなったその年の夏、四国を歩きました。母の供養のための歩き遍路です。
どこの町であったか夕刻、そろそろ足元の影も長くなってきた頃、
細い集落を抜ける道で足を速めていると、
町内放送だったのか、学校の下校を促す放送だったのか、
突然音楽が流れてきました。

 ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む、ぎんぎんぎらぎら日が沈む

歌詞はありません、メロディーだけ。その曲があの夜を思い出させました。
しばらく泣きながら歩きました。

母は無神論者でした。それでもかって一緒に暮らした相方の位牌を長年大事に守っていました。
お骨は近所のお寺に預かって頂き、位牌には毎日コーヒーを供えていました。
なんでも相方から、亡くなったあとは何もしなくても良い、毎日コーヒーだけ供えてくれ、
と言われたのだとか。お骨は京都の嵯峨野辺りのお寺にでも納骨してくれたら良い、とも。

母が亡くなったあと、私は相方さんのお骨もお寺から引き取り、
母のお骨とともに嵯峨野近くの西寿寺さんに納骨しました。
今でこそ樹木葬と言う言葉は良く耳にしますが、まだあまり知られなかった頃、
母の相方さんの納骨先を探していて偶然見つけたのですが、
母はその時、そこに収めるとは口にせず、その後年月が経過していました。

母が亡くなった後、ご近所の親しい方に報告に上がった際、
自分が亡くなったら、その西寿寺さんに納骨してもらうんだ、と話していたと聞き、
相方さんと母のお骨を西寿寺さんにお願いする事になりました。

今は西寿寺さんの墓地の頂上辺り、御室桜の根元で二人は眠っています。
そこから観る京都の市街は絶景。桜の咲く頃には一度、と思いつつ、
まだ満開の御室桜を目にしたことがありません。

人はいくつの命があるか?とどなたかが話しておられました。
人はその人を想う知人、友人、家族の分だけ命があるのだとか。
だから既に旅だった人を想う人がこの世にいる限り、人は死なないのだそうです。

今日は母の命日。
せめて供養にと思って久しぶりにこのブログをしたためました。
コロナのこの時期で無ければ墓参にも行きたかったのですが。
またいつか御室桜の咲く頃、お参りに行きたいと願っています。
母の好きだったおかき、相方さんの好きだったコーヒーを持って。













プロモーションコードとイチゴ

2016年01月07日 10時07分21秒 | 日々のこと


一月も早や7日。七草粥の日。
ありがたいことに今季は雪も無く暖かい冬ですが、今日は雨。
このまま春になってくれれば、と儚い希望を抱くのですが、
なかなかそうは問屋が卸さないでしょうね。

ところで先日の一日、元旦の日に書いた記事は慌てて抹消を。
ことの顛末は、一ヶ月ほど前にアップル社から新たなプロモーションコードの提供があり、
今回はどどんと一気に二百冊分、これは有効に使わねば、と。
前回は有効期限があるとは知らず、一気に頂いた五十冊分請求してしまい、
あわててその処理にてんてこ舞いをした苦い記憶が。
だから今回は、要る分だけ請求を、とで、
要る人はいませんか?と一日のブログで投げかけた次第。

希望の方からメールもあり、じゃ、アップルに請求を、となり、
専用のサイトから請求すると、受付をされず、
理由は契約の内容が一部変更になったので、まずその承認をしてください、と。
え?

アップルの案内によれば、カナダとオーストラリアの電子本の販売に関して、
両国から書類を取り寄せてアップルに送ってほしい、との内容?
そう言えば少し前にそんなメールが届いていましたっけ。

カナダの書類に関しては日本語で説明がありましたが、この日本語がまた超難解。
ましてやオーストラリアの英語の説明などちんぷんかんぷん。

思えばアップルと最初に電子本発行に関する契約のさい、
税務上の書類を準備することとなり、この手続きには精魂尽き果てた思い出が。
今回も、またか、と言うのが正直な気持ち。
さらにまたこの苦労をしなくてはいけないの?と思うと絶望的な心持ちに。

この時しみじみ思ったのは、まず書かれた文章を理解しようとする気持ちになれないこと。
頭の中にもやがかかったみたい。まるで思考の歯車にそのもやもやが絡みまくり、
考えること自体を自分の中で拒否しているかのよう。これも老化の影響でしょう。

結果、プロモーションコードの請求はとりあえず置いといて、
コードの希望の方には拙作の電子本二冊分、無料化することでこの場をしのぐことに。
しかし、この先、どうすべきか?いっそもう、ずっと無料化したままにすべきか考え中です。
(とりあえず日本でのダウンロードは16日まで無料です。希望者はどうぞご利用を。)

そんな中、昨日友人からイチゴが届きました。その友人のお友達のイチゴ農園から。
なんでも11月にすでに発送を頼んで頂いていたそうで、
収穫時期になったので早速送っていただいたようです。
まあ、立派で見事なイチゴでした。
品種は「章姫」と書いて「あきひめ」と読むそうです。八尾の「清水園」さん。

残念なことに輸送の途中でひっくり返したのか、
イチゴが箱の中でひっくり返っていて、イチゴ同士ぶつかったところにあちこち傷みが。
でもバナナだって少し傷みかけの方が美味しくて猫爺は好き。
見た目なんか悪くっても味には関係なし。
口にするとしみじみと幸せ。果肉も柔らかく酸味の少ない甘い甘いイチゴでした。
一口には食べられない大きさ!

しかし本一つ出版していただくにも、いろいろと世間のきな臭い部分にまみれ、
しゃちこばったルールに縛られ、言葉の壁にも頭を打ち、
本来、本を通して世に問いたかったことと随分矛盾している自分に後ろめたさも。

そう思えば、このイチゴは生産者から消費者へ直で届く「幸せ」。
イチゴのパッケージに添えられた
「清水園」さんのご夫婦の幸せそうなお写真を見て、
お二人の「アート」、確かに受け取りましたよ、とご報告を。
無論友人の暖かいお気持ちも。ありがとうございました。

写真もまた、こんな風にわかりやすく人様に届けられる方法って無いのかな?
いつもそんな風に思っています。



以下の拙作、2016年1月16日まで無料でダウンロード頂けます。ぜひご利用下さい。
Venice of the Cats
Andalusian Cats

Staxのイヤースピーカー

2015年10月16日 20時47分51秒 | 日々のこと


今日も1日の終わり。
良いお天気に恵まれて母の布団の入れ替えもできました。
その母ももうベッドに入って就寝の様子。まだ午後8時なのに。

今日は朝からクロネコヤマトさんが荷物を届けてくれました。
アマゾンで買い求めた中華製のデジタルアンプ。
AC電源込みで3350円という安さ。
なんでも人気中華アンプ「LP-2020」の後続機だそうで、
Levy社製「LP-2024」というデジタルアンプ、
アマゾンでも「ベストセラー一位」とありました。

なぜこんなものを買ったかと言うと、先日5週間ぶりに大阪の自宅へ戻ったおり、
妻から、これ、どうする?もう要らない?と渡されたものが。
Stax社製の「SRD-7」と「SR-X MK.2」と言うイヤースピーカーのセット。

イヤースピーカーの「SR-X MK.2」はコンデンサー型と呼ばれるもので、
その出力にはドライバーユニットである「SRD-7」と言う機械が必要に。
ただ、これだけで音楽を聴くわけにはいかず、アンプと音源が必要。
そのアンプももう無いので、残されたこのセットの処分を問われたというわけ。

このセット、実は40年前、猫爺がまだ若かりし頃、
ぼろアパートで暮らしていて、壁も薄いことからステレオで音楽を聴くにも不自由し、
無けなしの小遣いをかき集めて買い求めたものです。
さて、当時でいくらだったのかもう忘れましたが、
清水の舞台から飛び降りたつもりで買った記憶が。
でものちに結婚し、やがて音楽からも遠ざかり、
この機械の存在をすっかり忘れていました。

当時は「クリーデンス・クリア・ウォーター・リバイバル」や「サンタナ」など
若者らしい音楽を好んで聴いていましたが、このイヤースピーカーで聴くと、
音楽の細部まで聴き取れることにびっくり。
特に「スティーヴィー・ワンダー」の『迷信』を聴いた時はその透明感に感動を。

それでももう40年も前のこと、この機械がまだ動くかどうかも分からず、
とにかくアンプに繋いでみないと、と。
で、アマゾンで見つけた格安アンプなら、失敗しても惜しくはない、
と思って賭けに出ることに。

やけにちゃちいアンプとユニットをつなぎ、音源はいまだ愛用のiPhone4s、
電源を入れイヤースピーカーを耳にすると、もうがっかりするような音。
音量も低く、ボリュームを上げるとすぐに割れてきます。
ああ、失敗した、と思うも、どこかで「アンプも暖機運転が必要」とあったのを思い出し、
耳からはずしてそのあたりにしばらく放置しておきました。

母はデイサービスに出かけていて、その間は掃除洗濯、主夫業をせっせと。
やっと片付いてからもう一度耳に付けてみると、あ、蘇っている、と。
もっとも40年前に聴いた澄み切った音でなく、なんとなく小さくまとまった音。
所詮iPhone4sの音源だからなのか、私の耳の老化のせいなのか分かりませんので、
今度はマックに繋いでCDから録音した音源で聴いてみると、
こちらは随分音も際立っていました。いつも使っているイヤホンよりは格段に上。
これならほぼ昔のままかな?と少し嬉しくなりました。

ネットで調べてみると、この組み合わせ、未だにオークションで2万を超える落札価格。
捨てなくて良かった、と思いつつ、40年の歳月を超えて、
耳に届く音楽に少し感傷的になっている猫爺です。
随分懐かしい友人に再開したような心もち。

ちなみにさすがにもう耳あてのイヤーパッドは劣化してボロボロ。
これも調べてみると、なんと在庫限りとは言え交換用がまだ売られているとのこと。
次回大阪に帰ったおりにはぜひ買い求めなければ、と思っています。
またしばらく暇つぶしができました。
でもさらに40年先、誰がこれで音楽を聴いているのでしょうね?

たたきもぐさ

2015年09月28日 18時01分13秒 | 日々のこと

今日は良いお天気でした。
布団も干せましたし洗濯ものも片付きました。
からりとした秋日和。

一年続けたブログも終わり、その後は頂いたバイクの整備を。
先日は前のタイヤも交換してみました。
自転車のタイヤは経験あるも、バイクの太いタイヤ、しかもチューブレス、これは初めて。
ネットの情報を参考にさせて頂き、二時間がかりでようやく交換を。
プロの動画では7分ほどで終わる作業でしたが。

慣れない作業で肩も凝り、これも最近はまっているお灸を。
お灸と言っても「せんねん灸」、確かに手軽です。
でも年金暮らしの身とすれば、少々お高いのが気になります。

で、先日薬局へ行った際、見つけたのがモグサ。
値段も手頃です。で、思い切って買ってみたのが「点灸用たたきもぐさ」
伊吹もぐさの老舗、創業明治二十八年、株式会社山正さんのモグサです。

帰宅してこれもまたネットで検索してさっそく試してみました。
「たたきもぐさ」の袋の中はぺったんこになったモグサ。
なんでも昔、旅に携帯しやすいようにたたいて薄く伸ばし持ち運んだとか。
(中身のモグサの一部は写真の左下、板の上に。)

これを板と板の間にそっと挟み、
くるくると力を入れずすりあわせると細い糸のようなモグサに。
これをちぎって、水で湿らしたツボに立てて、お線香で火を付ける、と言う段取り。
詳しく書けるほど知識もありませんので、
ご興味のある方はネットで検索してみて下さい。

「せんねん灸」と違って、モグサはあっと言う間に燃え尽き、
最後にキュッとする一瞬の熱さが、ん、なんとなく効いてる?と言う感じ。
糸に巻く強さや太さで熱さも変化します。
「せんねん灸」と異なり跡も付きますし。

で、それより何より、気になったのは「たたきもぐさ」の袋の図案。
絵の方は番号順にモグサの出来るまでの過程を描いてあるのは分かるのですが、
その上の不思議な文字、真ん中に「うんかう日」
右端には「毎月三ヶ八日灸」なのか「毎月三々八日灸」なのか意味不明。

ネットでググるとどうも「うんかう日」(うんかうにち)とは
陰陽道でお灸が凶となる日の事?(間違っていたら済みません)
ではもう一つの「毎月三ヶ八日灸」なのか「毎月三々八日灸」は?
「ヶ」なのか「々」なのか分からず、ここを伏せてググるもヒットせず。

分からないとますます気になり、ずいぶんためらったものの、
厚かましく山正さんへ電話をしてみました。
受付の女性には「鍼灸師の方ですか?」と問われてたじたじとなりましたが、
電話を替わって出てこられたのは男性、快く説明して頂きました。

なんでもこの図柄は昔からあるものだそうで、
ご自分でも入社以来不思議に思っておられるも社内にも知る人が無く、
猫爺の様に電話で問い合わせして来られたことがきっかけとなり、
ご自分で文献等紐解かれ、ようやく見つけられたのだとか。

教えて頂いたのは以下の事。
これは「毎月三り八日灸」と言う意味で、
「三り」とはあの「三里のツボ」の「三り」です、と。
つまり毎月三里のツボに八日間続けて灸をすえる、と言う意味だとか。

その横の「翔日」「二日」「三日」とある下に、小さく「左九、右八」とかあるのは、
例えば翔日(1日目)は左足の三里に九回、右足の三里に八回すえると言う意味だとか。

これで謎解きのとっかかりが出来、改めてググると、
「毎月三り八日灸」と言うのは「長命の灸」として知られていて、
それぞれの日にちの下の左右の回数(灸の世界では壮数と言うそうです)は
『萬平夫婦の長命の灸その壮数』と言われているそうな。

なんでもその萬平さんと言う方は243才まで長生きられ(え?)、
その奥さんの太久さんは223才まで(ええ??)、
子の萬吉さんは196才、その妻茂牟さんも193才、
孫の萬吉さんも153才、その妻陽須さんは131才と、
三代揃って長生きをされたのだとか。まあ、今で言えばギネス間違い無し。

猫爺はそこまで長生きしなくても良いので、
とりあえずはしつこい肩こりを何とか出来たらな、と。
おっかなびっくり、チョコチョコと灸をすえながら、
もしかして猫爺はその気があるのかな?とも思ったり。

お灸の世界もかなり面白そうですので、
また関連書籍を紐解いてみるつもりです。

郁ちゃん号

2015年09月20日 08時22分20秒 | 日々のこと


しばらく連日の雨、その後は不安定な日がこれに続いていましたが、
今日は晴れるかな?と希望的観測で朝から大物を洗濯機で回しました。
それでもまだどんよりの空、小屋に干して様子を見ています。
めっきり朝晩が涼しくなりましたが、それでも日中はまだミンミンゼミの声が。

昨日は久しぶりにバイクで隣町の海を見に行きました。
バイクと言っても50CCの原付。私が譲り受けてから既に7年。
1988年から1990年に発売されていたバイクですから、
少なくとももう御年25才?

前の持ち主は親友の娘さん。
乗らなくなって廃車にし、ガレージに置いてあったのを私が見つけ、
厚かましく譲ってもらいました。
その後は彼女の名前を付けて「郁ちゃん号」と勝手に命名。

自宅から数キロの職場に通うのに何年か活用し、引退後は近所をウロウロする程度。
近所の悪ガキ共に散々悪戯されて、ガソリンを抜かれたり、タイヤを切られたり、
挙げ句の果てはサイドカバーを割られて、
仕方なく黒いプラスチック板で覆ってごまかしていました。

4年前に母の介護のため単身帰省する際に、
そのまま自宅に残すのも、と思い、実家に連れ帰って来ました。
でもカバーをかけているとは言え保存は軒の下、車輪も錆が浮き、バッテリーも上がり、
キックでもエンジンがかからなくなり修理に出したことも。

月初めに一年間続けたもう一つのブログも終わって後、ぽかんと空いた時間に、
じゃ、この際「郁ちゃん号」をきちんと手入れを、と。
狭い小屋に持ち込んでそれからちょくちょくとメンテナンスを。

アマゾンでこのバイクのサイドカバーが売られているのを発見し注文。
純正部品ではなく細工も少し荒いけど割れてるよりはマシかな、と。
ネットの動画や情報を頼りに試行錯誤で分解し、なんとか付け替えました。

分解したついでにプラグも交換、
タイヤのホイルも錆取りスプレーや金ブラシでゴシゴシ。
こうなるとだんだん面白くなってきて、
擦れて破れかかっていたシートも張り替えてみよう、
とで、これもアマゾンで注文、見違えるようになりました。
折れたままだったセンタースタンドもオークションで中古を見つけ落札、
これもなんとか自分で交換出来ました。

上がってしまったバッテリーも中国製の安物の充電器でなんとか蘇り、
で、昨日はガソリンを入れるのを兼ねて隣町の海へ。
そこでiPhoneで記念写真。ぱちり。写真だけで見ると新車?
帰ってきて温まったギヤオイルも抜き替えました。

手を入れようと思うとまだまだ課題はありまして、
せっかく交換したプラグも正規のものに交換する必要が。
(工具箱にあったものを使ったのですが正規品で無かったようです)
あとは分解したときに見た錆だらけのガソリンタンク、動きの悪いフロントフォーク、
切られたままのフロントタイヤ、ブレーキシュー、これらも何とかしたいな、と。

ありがたい事にたいがいの部品はネット上に。
ほとんどが純正よりずいぶん安い中国製ですが。
その気になれば、と一応アマゾンの「ほしいものリスト」に上げています。

元の所有者のその「郁ちゃん」ですが、今では立派な働く女性戦士。中学生二人の母親。
働くときはてきぱきと、遊ぶときは豪快に、そんな勝ち気な性格に
男のおばさんを自称する猫爺はちょっとドキドキ。
こんな娘がいたらな、と思う事もしばしばです。
だから現物の「郁ちゃん」は無理ですから、
せめて嫁いでくれた「郁ちゃん号」は大切にせねば、と。

自賠責保険も新たにまた5年加入しましたので、
まだまだ「郁ちゃん号」はこれからも乗っていくつもりです。