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13-5 イエスの教えと死

2018-04-26 06:42:55 | 世界史
『古代ヨーロッパ 世界の歴史2』社会思想社、1974年

13 暴君ネロと使徒パウロ

5 イエスの教えと死

 このように最近の研究では、イエスと「熱心党」およびエッセネ派との関係が、注目されている。
 しかしイエスは「熱心党」の暴力を肯定しなかった。
 そればかりか、クムラン教団の「教団規律」にその友を愛し、敵を憎めと記されているのに対し、イエスは「隣人」の範囲を無限にひろめ、取税人・遊女・罪人をも招きよせた。
 イエスは「敵をも愛せよ」と説いたが、彼の敵はイエスを愛さなかった。
 それは主としてサドカイ人とパリサイ人であった。サドカイ人とパリサイ人は平素仲がわるかったが、イエスの名声が民衆のあいたに高いのをねたんで、イエスを打倒することで意見が一致した。
 彼ら自身の民衆に対する感化力がイエスに奪いとられることを憤っただけでなく、イエスの活動がもしかしたら過激な政治行動となり、ローマ政府の干渉を誘発して、彼らによって構成されている「最高評議会(サンヒドリン)」というユダヤ人の自治機関もつぶされはしないかと、彼らは懸念していたのだった。
 このほかサドカイ人は、イエスが神殿から商人たちを追い出して宮清(みやきよ)めをしたことも、彼らの権限を犯し、神殿の収入を減少させると感じたであろう。
 パリサイ人のイエスに対する敵意は、ユダヤ教の教えに関するものであった。
 イエスはパリサイ人は父祖のいい伝えの形だけを守って精神を忘れていると、その偽善を非難し、自分や弟子たちの言動でこれを無視し、上記のように取税人・罪人・遊女をうけいれ、パリサイ人には冒涜(ぼうとく)と思われるような、神と彼との親しい関係を語ったからである。
 そしてイエスが伝道の対象とした民衆も、彼の説く霊的な「神の国」の福音を、本当に理解することはできず、彼からしだいに離れ去った。
 したがってサドカイ人やパリサイ人たちも、イエスが民衆のあいだに大きな支持勢力をもつうちは手を下しかねていたが、その心配がなくなったと判断すると、イエスの逮捕にふみきった。
 紀元三〇年四月ごろ、「最後の晩餐(ばんさん)」のあと、イエスはユダの裏切りによりゲッセマネの園で、ユダヤの指導者層からおくられた一隊に捕えられた。
 彼は最高評議会の審問をうけ、¥神罪と断ぜられ、死刑の判決をされ、ピラトゥスに引き渡された。
 ユダヤ人は死刑の判決権はあったが、執行権は代官がもっていたからである。
 しかしユダヤ人がピラトゥスに訴えた罪状は涜神(とくしん)罪でなく、イエスが「ユダヤ人の王」と袮し、民衆を惑わし、ローマ皇帝に納税を拒否し、独立反乱を企てたことであった。
 最高評議会で問題とされた「神の子」とか、「メシア(キリスト)」というような?神罪はローマの代官には理解されず、また関心をひかないとみてとって、巧妙に政治犯にすりかえた。
 それならばピラトゥスも職責上、見のがすことはできないからである。
 なるほどこの三つの訴因はいずれも事実無根なものであったが、それはこじつけの全然できないことでもなかった。
 イエスの教えに感動し、彼を信奉する者が少なくなかったから、ユダヤの指導者層の立場からは、イエスは民衆を惑わしたと思えたであろう。
 またイエスが数千人の民衆にパンを与える奇蹟を行なったとき、民衆はイエスを王にかつぎあげようとしたこともある。
 また納税拒否は、イエスが「カエサルのものはカエサルに」と答えているから、明白に事実に反するが、当時ユダヤで自ら王と称して独立運動をおこした者は、みなローマ政府に対する納税を拒否したので、イエスが「ユダヤ人の王」ととなえたと主張した以上、納税をも拒んだと訴えたのは当然といえよう。
 ピラトゥスはイエスの逮捕に関与せず、ユダヤ人から身柄を引き渡されて初めて事態を知ったらしい。
 アテネの民衆裁判で雄弁であったソクラテスに対比して、終始ほとんど沈黙を守ったイエスの態度は、ピラトゥスにもふしぎに感じられた。
 彼はイエスがユダヤ人のねたみによって訴えられているのに気づき、この無実の犯人を赦(ゆる)してやりたいと思った。
 平素は冷酷な彼も、イエスの態度に何か感ずるものがあったらしく、またユダヤ人の行動に対する不信の念も作用していた。
 時はあたかも過越(すぎこし)の祭りにあたり、囚人をひとり特赦する慣例があった。
 ピラトゥスは民衆が願い出たのを幸いに、おまえたちは、あの「ユダヤ人の王」をゆるしてもらいたいのかと尋ねた。
 ところが大祭司などに煽動された民衆は、暴動で殺人をしたパラバをゆるせといってきかなかった。
 バラバはおそらく熱心党の一味で、一種の民族的英雄であったからでもあろう。
 ピラトゥスにはいささか意外で、「ではおまえたちがユダヤ人の王といっているあの人をどうしろというのか」と問い返すと、民衆は「十字架につけろ」と叫んできかなかった。
 そこでピラトゥスはローマの兵士がいたずらして、いばらの冠(かんむり)をかぶらせたイエスを民衆の前に引き出し、「見よ、おまえたちの王様だ! こんなみすぼらしい男がなんでカエサルに反抗できるか」といって、なんとかゆるしてやろうとした。
 しかしユダヤ人は、「このカエサルの敵である男をゆるしたら、あなたは忠臣ではない。我々もカエサルのほかには王はない」とピラトゥスの泣きどころをついたので、ピラトゥスもやむなくイエスを十字架につけることにした。
 そしてピラトゥスがイエスの処刑には自分は責任がないというしるしに手を洗うと、ユダヤ人はこの男の血の責任は、私たちと子孫で引き受けたといった。
 以上のようなイエスの裁判のことを伝えている新約聖書の四つの福音書の記事には、程度の差はあっても、イエス処刑の主な責任はローマ人よりもユダヤ人にあることを示している。

 このピラトゥスも三六年には失脚し、いまのスイスの地方に流された。
 風光の美しいルツェルン湖のほとりにピラトゥス山という名が今日ものこっているが、中世の伝説ではピラトゥスの亡霊が夜な夜な現われて、この湖の水で手を洗ったというし、イエスをかばったというので聖人にまつりあげられたいい伝えもある。
 イエスは「平和の福音」をのべ伝え、敵をも愛せよと説き、捕えられるときに抜刀して彼を守ろうとしたペテロに対し、「剣によってたつ者は剣によって滅びる」と戒め、審問のさいもほとんど弁明せず、自ら十字架を負ってゴルゴタの丘にのぼり、死についた。
 三日目に彼が復活し、彼こそ主キリストであるとの信仰が弟子たちのあいだにいきいきと燃え上った。
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