浦川和三郎司教『新約のはなし』1949年、中央出版社
第5課 みおしえ(5)みおしえを守る為の覚悟
56
○みおしえを守るにつけて、弟子たる者の覚悟をお諭しくださいませんでしたか
△弟子たる者は、みおしえを信じ、その掟を守るにつけて、容易からぬ困難にでくわす覚悟であらねばならぬことをお諭しになりました。
「汝らは狭い門から入りなさい。滅びに至る門は広く、その路は幅広い。そして、ここから入る人は多い。かえって生命に至る門は狭く、その路は手狭い。これを見出す人は少ない」
ただ門がせまく、路が手狭いばかりか、うっかりすると不親切な案内者にだまされて、あられぬ方面へ引っ張り行かれぬとも限らないのです。
「汝らは、偽りの預言者(教師)に注意しなさい。彼らは羊の衣を着て汝らの方へ来るが、心のうちは、あらいオオカミです。その結ぶ果によってこれを見わけなさい。イバラからブドウを、アザミからイチジクを採ることがありますか。それと同じく、すべて善い樹は善い果を結び、悪い樹は悪い果を結ぶものです。善い果を結ばない樹は、伐って火に投げ入れられるでありましょう」
57
○御主は、その長い美しいお話の結びとして、特にどのような戒めを添えておかれましたか
△「私に主よ、主よ、と言う人が皆天国に入るのではない。天にまします吾が父の御旨を行う人こそが天国に入るのです。」
「審判の日に当たって、多くの人は私に向かい、
『主よ、主よ、私たちは御名によって預言し、御名によって悪魔を追っ払い、また御名によって多くの奇蹟を行ったじゃありませんか』
と申しますでしょう。
そのとき私は彼らに向かい、
『我、かつて、汝らを知らず。悪を為せる者よ、我を去れ。』
と言うであろう」
「だからすべて私の言葉を聞き、これを行う人は、磐の上にその家を立てた賢い人に比べられましょう。雨が降り、河があふれ、風が吹いてその家を衝きましたが、磐の上に据って居るから、倒れる気遣いがありません。かつて私のこの言葉を聞きながら、これを行わない人は、砂の上にその家を建てた愚か者に似ているでしょう。雨が降り、河があふれ、風が吹いてその家を衝きましたら、ひとたまりもなく倒れてしまいました」
教訓
人々は、主のみおしえにいずれも深く感服しました。それは、律法学士やファリサイ人のように、昔の人の言い古したところを繰り返し給うのではなく、むしろ権威を有するもののように教え給うたからです。
季節は、青草が風になびき、野の花の香り流れる春の最中です。
場所は、子羊がはね、小鳥もさえずりまわる緑の丘です。
玉を転がすような涼しい主の御声に、一種言い知れぬ趣を添えて、いよいよ人々の心をうっとりさせたのでありました。
よろしければ、FBのカトリックグループにもご参加ください。
第5課 みおしえ(5)みおしえを守る為の覚悟
56
○みおしえを守るにつけて、弟子たる者の覚悟をお諭しくださいませんでしたか
△弟子たる者は、みおしえを信じ、その掟を守るにつけて、容易からぬ困難にでくわす覚悟であらねばならぬことをお諭しになりました。
「汝らは狭い門から入りなさい。滅びに至る門は広く、その路は幅広い。そして、ここから入る人は多い。かえって生命に至る門は狭く、その路は手狭い。これを見出す人は少ない」
ただ門がせまく、路が手狭いばかりか、うっかりすると不親切な案内者にだまされて、あられぬ方面へ引っ張り行かれぬとも限らないのです。
「汝らは、偽りの預言者(教師)に注意しなさい。彼らは羊の衣を着て汝らの方へ来るが、心のうちは、あらいオオカミです。その結ぶ果によってこれを見わけなさい。イバラからブドウを、アザミからイチジクを採ることがありますか。それと同じく、すべて善い樹は善い果を結び、悪い樹は悪い果を結ぶものです。善い果を結ばない樹は、伐って火に投げ入れられるでありましょう」
57
○御主は、その長い美しいお話の結びとして、特にどのような戒めを添えておかれましたか
△「私に主よ、主よ、と言う人が皆天国に入るのではない。天にまします吾が父の御旨を行う人こそが天国に入るのです。」
「審判の日に当たって、多くの人は私に向かい、
『主よ、主よ、私たちは御名によって預言し、御名によって悪魔を追っ払い、また御名によって多くの奇蹟を行ったじゃありませんか』
と申しますでしょう。
そのとき私は彼らに向かい、
『我、かつて、汝らを知らず。悪を為せる者よ、我を去れ。』
と言うであろう」
「だからすべて私の言葉を聞き、これを行う人は、磐の上にその家を立てた賢い人に比べられましょう。雨が降り、河があふれ、風が吹いてその家を衝きましたが、磐の上に据って居るから、倒れる気遣いがありません。かつて私のこの言葉を聞きながら、これを行わない人は、砂の上にその家を建てた愚か者に似ているでしょう。雨が降り、河があふれ、風が吹いてその家を衝きましたら、ひとたまりもなく倒れてしまいました」
教訓
人々は、主のみおしえにいずれも深く感服しました。それは、律法学士やファリサイ人のように、昔の人の言い古したところを繰り返し給うのではなく、むしろ権威を有するもののように教え給うたからです。
季節は、青草が風になびき、野の花の香り流れる春の最中です。
場所は、子羊がはね、小鳥もさえずりまわる緑の丘です。
玉を転がすような涼しい主の御声に、一種言い知れぬ趣を添えて、いよいよ人々の心をうっとりさせたのでありました。
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