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3-11-9 劉氏の天下

2018-10-05 23:00:27 | 世界史
『東洋の古典文明 世界の歴史3』社会思想社、1974年

11 項羽と劉邦

9 劉氏の天下

 十二年(前一九五)初め、高祖は南方に遠征しての帰り道、うまれ故郷の沛(はい)によった。
 沛では旧友や父老や子弟たちをまねき、無礼講の酒宴をもよおす。
 沛の児童百二十人をあつめて、これに歌をおしえ、宴たけなわのころ、高祖は筑(ちく=琴に似た楽器、竹で絃を打つ)をうって、みずから歌った。
 大風起兮雲飛揚
 威加海内兮帰故郷
 安得猛士兮守四方  大風おこって 雲は飛揚す、 
 威は海内に加わって 故郷に帰る、
 いずくかに猛士を得て 四方を守らん。

 児童にならわせ、高祖は立って舞うた。万感の思いが胸にせまり、涙がいく筋もながれた。
 「遊子は故郷をおもうという。わしは関中に都したが、万歳ののち、わが魂魄(こんぱく=たましい)はなお沛をなつかしくおもうであろう。
 わしは沛公からおこって暴逆を誅し、ついに天下をとったのだ。
 されば沛の地はわしの私領とし、民の賦役(ふえき)を免じて、ながく負担のかがらぬようにしよう」。
 こうして十日あまり、沛の老若男女は毎日のように楽しんで飲み、よろこんでむかしを語った。
 高祖が去るにあたって、沛の者は一県総出で西の県境までおくり、さまざまの品を献上した。
 高祖はまたとどまって酒宴をはること、三日におよんだ。
 高祖が死去したのは、それから半年の後のことである。重病の床につくや、呂后が問うた。
 「陛下が百歳ののち、蕭相国(しょうしょうこく)が死にましたら、だれにかわらせたらよろしゅうございましょう」。
 「曹参(そうさん)がよかろう」と答えると、「その次は、だれが」と問うた。
 「王陵がよかろう。しかし王陵はすこし愚直だから、陳平にたすけさせるがよい。
 陳平の知恵はありあまるほどだが、ひとりだけにはまかせられぬ。
 周勃(しゅうぼつ)は重厚だが、やわらかみがない。
 しかし劉氏を安(やす)んずる者は、かならず周勃だろう。太尉(軍事長官)にするがよい」。
 さらに「その次は」と問うと、「そのあとは、お前などの知ったことではない」といった。
 こうして漢の十二年(前一九五)四月、高祖は長楽宮で死んだ。五十三歳であった。
 高祖は皇帝たること八年、その間におこなった事業といえば、功臣をほろぼす、ということに尽きていた。
 秦の始皇帝とくらべるならば、内政の改革も、大規模な外征も、何ひとつ後世に残るような事業は、していない。
 しかし、そのために長い征戦に疲れはてた民力は、回復にむかうことができたのである。
 そうして高祖によって樹立された劉氏の天下は、こののち四百年にわたって中国に君臨する。
 それは中国の歴史において、もっとも長い王朝となった。
ジャンル:
歴史
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