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第2章 異教帝国内における聖会(紀元64年-313年)

2018-05-17 01:30:30 | 教会史
「第2章 異教帝国内における聖会(紀元64年-313年)」『聖会史のはなし』浦川和三郎司教


なぜローマ帝国はキリスト教を迫害しましたか。

ローマ帝国は、紀元64年から313年まで、250年間の間、10回もキリスト教を迫害しました。その原因はいろいろあります。

(1)まず、ローマの民衆は、キリスト教もその道徳をも知らないで、キリスト教徒はロバの頭を拝むだの、幼児を殺してその血をすするだの、夜中集会して忌々しき不品行をやらかすだの、と、馬鹿馬鹿しいうわさを真に受け、これをもって、恐るべき邪教と思い込んだものです。
したがって、地震が来るか、洪水が出るか、野蛮人が攻め込んで来るかすると、人民はこれをもってキリスト教徒が国の神を祀らぬたたりだとして、「クリスチャンをライオンに食わせろ」
と、どなりたてるのでありました。

(2)次に、ローマ政府は、多数の神々を祀り、国民に命じて、それらの神々を礼拝させるのでした。そして、キリスト教徒がそのような礼拝を肯定しないところから、彼らを無宗教者、不忠、不義のならず者として、これを処刑しました。

(3)終に、皇帝はローマの宗教をもって国民思想を統一し、もって外敵に当たろうと心がけているのに、キリスト教徒が全く違った宗教を奉じているものですから、どうしてもその統一ができません。
よって、彼らを強いてローマ宗教に服させようとし、服さないものは国賊として容赦なくこれを殺したのであります。


キリスト教徒は、どのような刑罰を加えられましたか。

役人どもは、恐ろしい、身の毛もよだつばかりの刑罰を考え出して、罪のない信者を無理無法に責め殺しました。
三角にけずった木馬のようなものの上にまたがらせ、両足を滑車につないで、これを動かし、身を裂かれるような思いをさせる。
鉄の焙り子に載せ、炭火を下におこして、ジリジリと焙る。
たぎった油釜の中に投げ込む。
鉛をとかして口にそそぎこむ。
10万人もの観客を入れる大きな円戯場に引き出して、ライオンやヒョウやトラなどに食い殺させる。
あるいは、生きながら皮をはぐとか、たいまつで全身を焼きただらすとか、目をくじり出すやら、歯や爪をぬきとるやら、様々の恐ろしい刑罰を加えたものであります。
そのために、貴賤、貧富、老若、男女を問わず、殉教者の数は測り知れないほどでした。
そして、彼らは、イエズスキリストに対する偽りなき信仰を証するが為に、喜んで死んでいきました。
私たちは、パスカルと共に、「死ぬことさえ辞さない証人の言うところを、私は喜んで信じる」ということができます。

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その間に、信者たちはどこに隠れて、教えを学んだり、秘跡を拝領したりしましたか

信者たちは、カタコンブに隠れました。
カタコンブとは、一種の地下室で、殉教者の遺骸を葬ったり、信者たちの集会所に充てたりするために、ローマ市の地下にうがったものでした。
2階3階と分かれ、幅の狭いトンネルが上下左右に織るが如く入り組んで、これの通路となり、内部はいくつもの部屋と小聖堂とより成り、両側の岩にうがった墓は、幾段も重なりあい、600万からの死体を納めることができ、トンネルを引き延ばすと、300里にも及ぶほどだということです。
そして、カタコンブ内には、たくさんの碑銘や宗教画が刻み付けてありまして、初代教会の信者たちの信仰を物語っているのであります。

結び--
聖会は殉教者の血によって、どのような人でもかつて博したことのない著しい勝利、すなわち、暴力にたいする良心の勝利を博しました。


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