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他界からの手紙:祈りの価値

2018-02-10 04:07:19 | 天国・地獄
ミカエル・モスカ神父訳『わたしは亡びた』、7

 マルタとあなたが、わたしを青年会の集まりに誘ったことがありました。わたしはさっそく、指導者だった婦人たちの講話を褒めて近づき、あなたも知ってのとおり、すぐにり一ダーのひとりになりました。わたしは、こんな遊びが好きだったのです。人の上に立つことや遠足も好きでした。ときどき聖体拝領や告解に誘われることがありましたが、告解がどんな役に立ったというのでしょう。司祭のすすめも、ほとんど心に響きませんでした。

 でも、こんな生活を送っていながら、当時はまだ、堕落しきっていなかったのです。あなたはわたしに、「アンネッタ、祈って!祈らないなら、あなたは地獄に行くわ」といったことがありました。

 ぞのとき、あなたは本当のことを言ったのです。地獄に落ちてくる霊魂はみな、祈らなかったか、祈ってもよく祈らなかった霊魂です。祈りは、神への第一歩です。しかも.決定的な一歩です。中でも大切なのは、キリストのおん母への祈りです。わたしたちはそのみ名を、一度も心を込めて唱えたことがありません。聖母への信心は、たしかに悪魔の手に落ちるはずだった霊魂を、悪魔の手から奪い取ります。

 気はすすみませんが、話さなければならないので話します。この世で、祈りほど、たやすいものはないのです。神は、こんなやさしいことで、人間をお救いになるのです。忍耐づよく祈る人々を照らし、強められるのです。そのあわれみは、地獄に片足を入れた罪人をも確実にお救いになるほど深いものです。

 わたしも、少しは祈ったこともありました。でも、生涯の終わりの頃は、祈りのない毎日でした。そんなわたしに恵みはありません。恵みがないなら、誰も救われないのです。地獄では、どんな恵みも受けられません。受けたとしても、あざ笑って踏みにじるだけです。地上のどんなことも、死んでしまえぱなんの役にも立ちません。


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