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第4章 異端と教父たち

2018-05-22 11:42:12 | 教会史
「第4章 異端と教父たち」『聖会史のはなし』浦川和三郎司教

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教会は迫害を免れてから、長らく平和を楽しむことができましたか

いいえ。
外からの敵がいなくなりますと、間もなく恐るべき敵が内から起こってきました。内からの敵とは、異端者と離教者であります。
キリストの授け給うた教理の中から勝手な選択をし、その欲する所を知り、他はこれを投げ棄てるか、変更するか、するものが異端者で、離教者とは、正当な牧者である教皇の権威を認めず、これに従わない人々であります。

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その頃発生した、おもな異端を挙げなさい

その頃発生した、おもな異端は、アリウス、ネストリウス、ヨウチケス、マケドニウス等の異端でした。

(1)アリウス(280-336)は、アレクサンドリアの司祭で、
イエズスキリストは天主ではないが、また、ただの人間でもない、実は、両者の中間に位置し、すぐれた被造物だ、と主張しました。

(2)ネストリウス(440年死亡)は、コンスタンチノープルの司教で、イエズスキリストは、天主のペルソナと人のペルソナとの2つのペルソナを有し給うといい、(天主のペルソナのみを有し給うというのがカトリックの正説)したがって、聖マリアは人のペルソナのみを生み給うたので、「天主の御母」ではないと唱えて、世の中を騒がせました。

(3)ヨウチケスは、コンスタンチノープルの修道院長でしたが、ネストリウスに反対してキリストの天主性をあまりにも強く主張した結果、正反対の誤りに陥り、キリストんは天主性のみがあって、人性はないと言い出しました。

(4)マケドニウス(370年)はコンスタンチノープルの司教で、
聖霊は聖三位の一ではない、ただの天使たるに過ぎない、
という途方も無い異端を唱えたものであります。

(5)そのほかにも、善悪2神の存在を主張し、悪魔も天主と同じく永遠であると唱えたマネス派、原罪の存在を否み、聖寵は救霊に必要ではないと言い立てたペラジウスの異端、アフリカ教会のほとんど半分を味方として、盛んに混ぜっ返しをやったドナトゥス派の離教などを数えることができます。

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聖会はどのようにしてこのような異端と戦いましたか。

聖会は世界の司教達を召集して、公会議を開き、議長席には常に教皇使節がついて、これらの異説を取り調べ、信仰箇条を確定しました。
そして聖会は、イエズスキリストの御約束により、信仰道徳の問題を定義するとき、誤ることができないのですから、公会議の定義したことは、必ずこれを信じなければなりません。
それを信じないとあっては、どうしても異端の罪を免れません。

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公会議の外にも、異端と花々しい戦を交えたものがいましたか

はい、教父たちがいました。
教父とは、
古代教会においてカトリックの真理を擁護した学徳兼ね備わった偉大なる人物を申すのであります。
そして、教父の中で最も有名なのは、東教会に4人、西教会に4人、都合8人が数えられます。

東教会とは、ヨーロッパの東の方から、小アジア、シリア、アフリカのエジプトなど、主としてギリシア語を話す地方を指すのです。

西教会とは、イタリア、ガリア(フランス)、イスパニア、ブリタニア(イギリス)、北アフリカなど、主としてラテン語を使う地方を総称したものであります。

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東教会の4人の教父とは、誰々ですか

東教会の4人の教父とは、
聖アタナシウス、ナジャンゾの聖グレゴリウス、聖バジリウス、金口聖ヨハネであります。

(1)聖アタナシウス(296-373)は、アレクサンドリアの総司教で、アリウスに対して、
キリストの天主性をあくまで勇敢に、あくまで根気づよく擁護し、その為に幾度も司教座を逐われながら、最後までがんばり通した人です。

(2)ナジャンゾの聖グレゴリウス(328-389)は、コンスタンチノープルの大司教で、その説くところが確実であったため、特に「神学者」と呼ばれ、やはりアリウスの異端に対して勇敢奮闘した人であります。

(3)聖バジリウス(329-379)は、小アジア、ポント州のセザレアという町の司教、貧者に対する尽きせぬ慈善心、迫害者におどかされても微動だにもしない剛胆など、当時まれにみる大聖人でした。

(4)聖ヨハネ(347-407)は、コンスタンチノープルの大司教で、
その滔々と流れるような雄弁のために「金口(きんこう)」とあざなされていたほどでした。
聖人は貧困、窮乏な人を恵む一方には、コンスタンチノープルの宮廷や大官などの腐敗、乱行、暴虐をビシビシと遠慮なく攻撃しました。
そのために彼らの怨みを買い、司教座を逐われて遠国に流され、そのまま終に死亡しました。
聖人の遺された著作中、特に有名なものは説教集であり、また、「司祭職について」と題する名作もあります。

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西教会の4人の教父とは誰々ですか

西教会の4人の教父とは、聖アンブロジウス、聖ヒエロニムス、聖アウグスチヌス、聖大グレゴリウスです。
大グレゴリウスのかわりに、聖ヒラリウスを数えることもあります。

(1)聖アンブロジウス(340-397)は、ミラノの大司教で、ただ教会の為に尽くしたのみならず、また、ローマ皇帝の厚い信任を得て、その顧問に備わり、有益な助言を与えました。
テオドシウス帝が怒りに任せてテサロニケの住民7,000人を虐殺したときはどは、極力帝を諌めてその非を認めさせ、公の償いに服させました。

(2)聖ヒエロニウス(340-420)は、司祭かつ隠修士で、ラテン語はもちろんギリシア語、ヘブライ語、カルデア語などに通じ、新約聖書のラテン訳を訂正し、旧約聖書の大部分をヘブライ文からラテン文に翻訳しました。
今日カトリック教会で使用する聖書の「通俗訳」というのは、聖人の手になったものです。

(3)聖アウグスチヌス(354-430)は、北アフリカ、ヒッポの司教で、
その優れたる雄弁と非凡な学徳により、古今独歩の大聖人と仰がれている人です。
当時のあらゆる異端、離教と戦い、幾百巻もの著書を公にし、特に、ペラジウスの異端に対して大いに聖寵論を戦わせ、為に「聖寵博士」と呼ばれるに至りました。
「神の都」と「告白」とは、その傑作中の傑作であります。

(4)聖大グレゴリウス(540-604)は、590年に教皇となり、604年に世を去られたのですが、その間に多くの民族をカトリックに帰依させるとともに、ローマ及びイタリアを餓えと蛮族の侵略とより救い、たくさんの説教を作り、多くの親書を各地へ送り、不朽の作品をも公にし、また、音楽学校を設け、いわゆる「グレゴリアン聖歌」を制定するなど、それこそ驚くべき大業を全うされました。
しかも、その身は病弱で、歩行すら自由でなかったといいますから、いよいよ以て驚かざるを得ません。

結び--
キリスト教は、第4世紀を教会史上の黄金時代となしました。
博識な学者、深奥な哲学者、傑出した文豪、滔々たる雄弁家が雲のように起こって、蛮族にふみつぶされる直前のローマ帝国に、異彩を放ったのであります。
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