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13-2 アウグストゥス家のスキャンダル

2018-04-23 06:57:50 | 世界史
『古代ヨーロッパ 世界の歴史2』社会思想社、1974年

13 暴君ネロと使徒パウロ

2 アウグストゥス家のスキャンダル

 だが幸運な生涯をおくった彼も後継者には恵まれなかった。
 彼の実子は二度目の妻スクリボニアが生んだ娘のユリアだけだった。
 三度目の妻で、彼が深く愛したリヴィアとのあいたには子宝(こだから)は恵まれなかった。
 そこで彼はユリアを甥のマルケルスと結婚させ、マルケルスを後継者に指名した。
 しかしマルケルスは早死にしたので、忠実な側近の将軍アグリッパにユリアを再婚させ、彼を後継者とした。アグリッパはユリアによって三男二女をもうけたが、彼もアウグストゥスより先に死んだ。
 そこで彼はリヴィアの先夫との子ティベリウスに妻と離婚させて、ユリアを三婚させるという無理を強(し)い、ティペリウスを後継者にしようとした。
 しかし彼は、アウグストゥスがユリアとアグリッパとのあいだに生まれた二人の男の子を養子にしており、そのうえユリアの身持ちがよくないことから嫌気がさして、ロードス島に引きこもった。
 アウグストゥスはこのことを不快に感じたが、そのうちにユリアの不貞が明るみにでた。
 彼女は元首のひとり娘としてわがままに育ち、勝ち気で美貌の持ち主であったが、夫とのあいだがうまくいったのは、初めのマルケルスとだけだった。
 かなり年長で律義なアグリッパ、武将としては優れているが、陰気な性格のティベリウスとはいずれも政略結婚で、陽気な彼女の性格とはしっくりしなかった。

 こうして彼女の火遊びがはじまり、幾人かの男の名があげられたなかに、とりわけ深い仲になったのが、ユールス・アントニウスであった。
 彼はあのクレオパトラとの情事で身を滅ぼしたアントニウスの次男であるが、父が破滅した後も咎めをうけなかったばかりか、アウグストゥス家に出入りを許されていて、まちがいを犯したのである。
 しかも彼は道徳的破産者とみなされていたし、政治的陰謀もこれに絡(から)んでいた。
 そこでアウグストゥスは紀元前二年、事件を仮借(かしゃく)なく処理することにした。
 ユールスは自殺に追いこまれた。
 愛娘(まなむすめ)ユリアもナポリ沖あいのパンダテリア島に流され、のちにイタリア本土にもどることは許されたが、最後まで父である元首の勘気はとけないまま、なくなった。
 このスキャンダルにはまだおまけがついた。
 ユリアの娘小ユリアも母ゆずりの不身持ちで、やはり島流しになった。
 あの人気作家オヴィディウスが紀元八年ころ、突然アウグストゥスによって追放され、黒海岸の辺境トミ(今のルーマニアのコンスタンツァ)で窮死(きゅうし)したのも、エロ事師として風紀粛正の対象となっただけでなく、小ユリアの情事の手引きをしたとの疑いをかけられたからのようである。
 こうなってはアウグストゥスも、あまり気が合わなかったティペリウスを呼びもどして、後継者とするほかはなかった。
 アウグストゥスは紀元一四年、七十六歳の高齢でなくなり、神として祀られた。
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歴史
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