『シュステル枢機卿 - 模範的な司牧者』カスティリオニ神父・デルコル神父共著
◆12、小教区視察
ミラノの大司教区は世界最大の司教区で、そのなかに、900もの小教区をもっており、信者数も、ざっと300万人以上です。かれは、すべての小教区視察を決意しました.1930年からはじめ、手はじめに、ミラノ大聖堂の小教区を視察し、順番に、他の小教区をまわり、25年間に、すべての所に4回以上の視察を実行しました。視察に行ったときには、かれは、4回から5回も説教し、ミサには、すべての信者にひとりでご聖体を配ったのです。もちろん日曜日だけではありません、平日にも行きました。
自動車はあっても、山地にはそのための道もなかった当時のことです。ときには、道とさえいえないような所が多かったので、場合によっては、馬にのり、またあるときは、歩いて行くよりはかに方法のないこともありました。
2~3か所ひじょうに離れた村があって、ここの山道はひどいもので、手と足を使ってよじのぼる必要さえありました。また、あるときは、途中で大雨にあい、雨やどりする所もないままに、ずぶぬれになったことも一度や二度ではありませんでした。
馬が使えなくて、ラバに乗って出かけることもありました。こんなとき、ラバは、天気があまり悪いと、いやがって、歩こうとしません。ぐんと、ふんばってテコでも動かないつもりです。お供のものは、もう忍耐を失ってしまいます。それで、お供は交代ですることになっていましたが、シュステル大司教は、いつも、どんなときでも、やりぬくのです。あまりのことに医者が、「そんなことしていらっしゃったら、いつか、きっと、やられますよ、とても危険です」と注意しました。でも、かれは、ものともしません。そして、そのとおり、決して病気になったことはなかったのです。
田舎の教会に出かけていったときも、変えません、ミサは、朝の5時きっかりです。
「まあ、大司教さま、5時だなんて早すぎますよ、そんな時間には、だれも来ませんよ」と驚いて主任司祭。
「いいえ、ミサは5時です。みんなに5時にあると知らせなさい」と、かれは命じたのです。
次の朝、主任司祭は、びっくりしました。5時15分前にもうお聖堂は、信者でいっぱいになっています。みんなは、大司教さまのミサにあずかりたかったのですから……。
さて、ミサがはじまりますが、あんまり数が多いときは、他の神父さまにご聖体を配るのを手伝ってもらわねば、まにあいません。それで、ちゃんとそう決めていたのですが、今度は信者が承知しません。みんなは、直接大司教さまの手から、ご聖体をうけたかったのです。
かれ以前の司教たちは、こんなに正式の視察をしなかったので、かれによって、貴重なものが発見されました。つまり、香部屋や司祭館の記録所をくわしく醐べているうちに、知られていなかった殉教者たちの遺物や、貴重なる書類がみつかったのです。
視察に行った小教区に、もし病人がいるときは、この新しい大司教は、なるべく見まうようにしていましたが、重病であれば、それは絶対的なことになってしまいます。
写真:教皇ピオ11世ご自身により、ミラノ大司教に叙階される
◆12、小教区視察
ミラノの大司教区は世界最大の司教区で、そのなかに、900もの小教区をもっており、信者数も、ざっと300万人以上です。かれは、すべての小教区視察を決意しました.1930年からはじめ、手はじめに、ミラノ大聖堂の小教区を視察し、順番に、他の小教区をまわり、25年間に、すべての所に4回以上の視察を実行しました。視察に行ったときには、かれは、4回から5回も説教し、ミサには、すべての信者にひとりでご聖体を配ったのです。もちろん日曜日だけではありません、平日にも行きました。
自動車はあっても、山地にはそのための道もなかった当時のことです。ときには、道とさえいえないような所が多かったので、場合によっては、馬にのり、またあるときは、歩いて行くよりはかに方法のないこともありました。
2~3か所ひじょうに離れた村があって、ここの山道はひどいもので、手と足を使ってよじのぼる必要さえありました。また、あるときは、途中で大雨にあい、雨やどりする所もないままに、ずぶぬれになったことも一度や二度ではありませんでした。
馬が使えなくて、ラバに乗って出かけることもありました。こんなとき、ラバは、天気があまり悪いと、いやがって、歩こうとしません。ぐんと、ふんばってテコでも動かないつもりです。お供のものは、もう忍耐を失ってしまいます。それで、お供は交代ですることになっていましたが、シュステル大司教は、いつも、どんなときでも、やりぬくのです。あまりのことに医者が、「そんなことしていらっしゃったら、いつか、きっと、やられますよ、とても危険です」と注意しました。でも、かれは、ものともしません。そして、そのとおり、決して病気になったことはなかったのです。
田舎の教会に出かけていったときも、変えません、ミサは、朝の5時きっかりです。
「まあ、大司教さま、5時だなんて早すぎますよ、そんな時間には、だれも来ませんよ」と驚いて主任司祭。
「いいえ、ミサは5時です。みんなに5時にあると知らせなさい」と、かれは命じたのです。
次の朝、主任司祭は、びっくりしました。5時15分前にもうお聖堂は、信者でいっぱいになっています。みんなは、大司教さまのミサにあずかりたかったのですから……。
さて、ミサがはじまりますが、あんまり数が多いときは、他の神父さまにご聖体を配るのを手伝ってもらわねば、まにあいません。それで、ちゃんとそう決めていたのですが、今度は信者が承知しません。みんなは、直接大司教さまの手から、ご聖体をうけたかったのです。
かれ以前の司教たちは、こんなに正式の視察をしなかったので、かれによって、貴重なものが発見されました。つまり、香部屋や司祭館の記録所をくわしく醐べているうちに、知られていなかった殉教者たちの遺物や、貴重なる書類がみつかったのです。
視察に行った小教区に、もし病人がいるときは、この新しい大司教は、なるべく見まうようにしていましたが、重病であれば、それは絶対的なことになってしまいます。
写真:教皇ピオ11世ご自身により、ミラノ大司教に叙階される