写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

あ゛ぢ い゛~

2018年07月16日 | 随想

夏日と真夏日!猛暑日と酷暑日!違いとは何なの?ということだが、「夏日」とは日中の最高気温が25℃以上の日、「真夏日」とは最高気温が30℃以上の日、「猛暑日」とは最高気温が35℃以上の日のことをいい、5℃ずつ暑くなるたびに違う表現で分類されている。

その次の5℃、気温40°以上の日については、・・・・まだ明確な気象用語は定義されていない。

35℃以上の「猛暑」も、気象庁が2007年に公式に発表する以前は、マスコミ等で「酷暑日」という表現を使っていたために、役所のメンツから違う表現で言うようになったという曰く付きのもの。個人的な印象とすれば、「猛暑」よりも「酷暑」のほうが、より暑いような気がする。普及し出していた「酷暑」を採用しなかった理由とは、メンツの他にいったい何があったのだろうか。

まぁ、気象庁と言えば、大げさな避難勧告を出したかと思えば、何ともなかったことに対する謝罪とか言い訳とかも、聞いたことがない。こんなことを繰り返しているもんだから、とっくにオオカミ少年と化している訳だ。しかも、肝心の被災地には、だから言ったでしょ、ってなもんで、平気の平左だ。

これだけクソ暑いとなると、こんな暑さはどう表現するのか、ということで、まだ気象庁では公式な表現は発表されていないようなのだが、「猛暑」の上を行く言葉として使われそうだと思われるものをピックアップしてみると、たとえば、激暑劇暑)~激しい、劇的な暑さ、厳暑~厳しい暑さ、炎暑~燃えるような暑さ、甚暑~はなはだしい暑さ、熱暑~暑いというより熱くてやけどしそうな暑さ、極暑~暑さの極み、蒸暑溽暑)~いかにも蒸し暑そう・・・、灼暑~灼熱の暑さ、などなど。幻暑(幻覚みるほどの暑さ)、烈暑(猛烈の暑さ、猛暑の次の段階)、超暑(チョー暑い、という暑さ)、鬼暑(オニみたいな暑さ)、獄暑(地獄みたいな暑さ)、などもぴったりくるかもしれない。

・・・・「うだるような暑さ」という表現もあるので、「うだる」って何じゃい、と調べてみると、「茹る(ゆだる)」の音が変化したものだとか。その「茹る」とは「湯で十分熱せられる。ゆであがる。」の意味なんだとか。おぉ、これは茹で蛸じゃないが、確かに熱湯でゆでられたような我が身のことを指しているようじゃあないですかぁ。暑さの表現にはピッタリですなぁ。

また、夜間(夕方から翌朝まで)の最低気温が25°以上の夜は熱帯夜と呼ばれているが、最低気温が30°以上の夜については、こちらは幾つか出ているようで、「超熱帯夜」とか「スーパー熱帯夜」あるいは「灼熱夜」とか・・・。芸が無いですな。

だいたい、熱帯というのは年じゅう高温で、気温は年変化が少ないが昼夜の差が大きいというのが特徴で、熱帯の夜は涼しいというのが相場である。インドも夏の夜は涼しいんだとか。

じゃぁ、熱帯夜っちゅうのは「涼しい夜」っちゅう意味かい?となる訳だが、一度定着してしまった用語はなかなか変える訳にもいかず・・・、ってなもんでしょうな。完全に間違った使い方の見本、というか、命名者の落ち度。

38°とか・・・・

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燦然と輝く満天の星についてコメントしようとしていたのだが、知り合いがFB(顔本)で「星が綺麗だよ」などと、我がお株を奪うようなつぶやきをしてしまい、出鼻をくじかれた格好になってしまった。

夏の夜は、冬の夜ほど空気が澄み切っているわけではないが、銀河中心方向の濃い天の川が高くよく見えることもあって、見える星の数が圧倒的に多く、見応えがある。

また、きちんとした施設でもない限り、冬は長時間、夜空を観察するという訳にはいかないが、夏だったら野外でうとうとして朝になったとしても、それほど問題になることもない。

 

星空のふしぎという、超々初心者向けのサイトがある。「よく晴れた夜、空を見あげること、星空を楽しむ第一歩は、ただそれだけだ」、とやさしい。

そんなきっかけから、宇宙がどれだけデカイかということに素直に驚き、しかも、予想以上の速さで膨張しているという観測事実から、その原因となっている力というか、エネルギーのことを、「あるようだけど見えない」という意味の「ダーク」エネルギー、あるいは、ほぼ90年前には欠損質量(ミッシングマス)と呼ばれていて、これも見えない、光や電磁波での観測にひっかからないという意味での「ダーク」マターなど、尽きない興味に溢れている。ちょっとしたまとめが「FUN FUN 物理」に載っている。

思えば、約50年前には一般相対性理論にかじりつき、場の量子論や湯川理論を解いてみたり、群論を無我夢中で研究してみたりと必死こいていたが、今から思えば、極端に狭い視野で、何を求めていたのかも全然わかっていないままに時間を過ごしていたような気もしないではない。

焼け棒杭ではないが、今からなら、当時は理解できなかったこともわかるような気がしないでもないが、もう数式が読めなくなっている現状では無理だ。空白期間を空けすぎた。

と言いつつ、ここで思い出したのが、D.ボームの「量子論QUANTUM THEORY」という本(リンク先のような表紙だったかどうかは全く記憶が無いが)の中の、プランクがエネルギー量子発見のきっかけとなった、数式の分母の+と-の入れ替えの部分。

こういうちょっとした数式の「いじり」で、何か出てくるのではないかと常々思っていたものだったが、ダークエネルギーが提起され、それが、あのアインシュタインの「生涯最大の失敗」と述べられていたという宇宙定数(宇宙項)Λ(ラムダ)の復活というできごとによって、再度、その思いを強くしたところである。

根拠のない予想でしかないのだが、あの方程式のどこか一部を「いじる」ことで、画期的な結論が導き出されるのではないか、と密かに期待している。