気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

コントラバス 細溝洋子 つづき

2008-12-08 02:12:02 | つれづれ
誤りてキーに触れしや唐突に人は昔を語り始めぬ

春の夜の詞華集(アンソロジー)のそここに白藤のような旧かな咲けり

乗り換えの小さな駅に降りたてる回想と空想のよく似た姉妹

質問と答えがふいに入れ替わる きつねが角を曲がって行った

鳥の群れいっせいに向きを変えるとき裏返さるる一枚の空

乾かせば何もなかったような傘きれいに畳み仕舞い終えたり

(細溝洋子 コントラバス)

************************

良い歌がたくさんあるので、もう少し引用する。
アンソロジーの旧かなを白藤と喩えたり、回想と空想の姉妹を登場させたり、発想がゆたか。
きつねの登場する歌には感心した。何か質問されて答えにつまったとき、「それで?」と質問に質問を返してごまかすことがある。これはきつねの仕業だったんだ。質問返しをしたあと、きつねは澄まして角を曲がったのである。
鳥の群れが向きを変えるときも、スカーフが裏返るように空も裏返っている感じがする。この人の歌をもっと読みたいと思う。


コントラバス 細溝洋子

2008-12-05 19:22:50 | つれづれ
シーソーは上下してまた上下してある日船出をするにやあらん

速達を出してそこだけ早くなる時間の帯を思うしばらく

このままで曲がっていたい栞紐、本の半ばにへばりつきおり

地下鉄のドアより人は溢れ出る生まれて初めて見る顔ばかり

窓から窓へ紙飛行機を飛ばすように少し無理して伝えたいこと

鯉のぼり片付けられて家家に眩しき風の記憶眠れる

(細溝洋子 コントラバス 本阿弥書店)

**********************

心の花所属の細溝洋子さんの第一歌集『コントラバス』を読む。
細溝さんは、2006年に歌壇賞と心の花賞を受賞されている。
物の見方の新鮮さが的確な言葉で表現されて、読者を納得させる力のある歌がたくさんある。ここに挙げたどの歌も、くどくどと説明の必要もなくすんなり読めて、意味がわかりやすい。作者が、独自の視点を持って、対象をよく見ていることに感心する。見習わねばならないと思う。
私が今年読んだ歌集の、ベストスリーに入れたい歌集。ぜひ一読をおすすめする。

石の記憶  阪本博子

2008-12-03 02:19:14 | つれづれ
何処より来りていづこへ行くわれか石の記憶に問ひたきものを

後の世は人に生れ来よかたはらの眠れる犬に言ひ聞かす夜

逢ひたくば鏡を見よと人は言ふ父に似し娘の心を知らず

良き富士を撮らせたまへと登山前 太宰治の碑にわが触れぬ

声高にひとら集へる家の前 遠回りするわが鬱心

たらたらと家事終へられぬわれのため魔女と出でこよ箒かかげて

しあはせのしるしたとへば庭隅にひとつ明るむ侘助の白

(阪本博子 石の記憶 短歌新聞社)

****************************

先月、奈良へ行ったとき、たまたま一緒にお茶を飲むことになった阪本博子さんに歌集を貸していただいた。結社は作風に所属しておられる。
カメラが趣味で富士山を撮ることをライフワークとされているご夫君と愛犬を詠んだ歌が多く、そこに彼女の思いを読み取ることが出来た。歌集の表紙をはじめ、数枚挿入された写真は、彼女の作品やご夫君の作品である。暖かく理解のあるご家族に恵まれて、短歌をはじめ、絵画やピアノを楽しまれている様子が伝わってきた。それでも鬱という言葉に何回か出会い、どんな環境で暮らしていても、ひとそれぞれの悩みはあるのだろうと感じた。

今日の朝日歌壇

2008-12-01 23:04:21 | 朝日歌壇
老衰の今際の時に名を呼べば犬はかすかに尾を振って死ぬ
(浜松市 桑原元義)

ふるさとは「限界」なれば行くたびに村はさびしく人らはやさし
(山形市 黒沼 智)

月のしたに塾の送迎バス止まり稲植うるごと子供を降ろす
(和泉市 長尾幹也)

************************

一首目。飼い犬が死ぬ間際、名を呼ぶと尾を振ってから死んだというけなげな歌。飼い主にありがとうと言ったのだろうか、反射的な動きなのだろうか。それにしても結句の「尾を振って死ぬ」はすごい。「死ぬ」まで言うかな・・・と思う。短歌では「言いすぎ」は嫌われる。言い過ぎないためにさんざん工夫して、わからない曖昧な歌になってしまうことがある。歌会などで「言いすぎ」といわれそうだから、それを避けて「尾を振り応ふ」ぐらいにしてしまいそうだ。「死ぬ」まで言ってこそ強い歌になった。勇気をもって、自分の思うように表現するのも大切だと思った。びびっていてはいけない。
二首目。限界集落のことを詠ったのだろう。この「」も微妙である。「」をつけたことで、限界という言葉が際立って効果をあげている。しかし、こういうことをすると野暮だと言われることがある。あくまでも言葉で勝負すべきだと・・・。この場合は「限界」としたことでインパクトが出たと思う。
三首目。いまどきの塾は送迎バスまであるんだと、驚いた。確かに塾の往復は夜になるので、危険を避けるために送迎バスがあると親も安心である。「稲植うるごと」がうまい。子供はまだ細くて、稲の苗のようだから、バスから降りるときの動きとぴったりと合う。植物のようにおとなしいという意味も感じられた。

飼ひ犬が死ねばその日はちよつと泣き次をさがすとあのひとは言ふ
(近藤かすみ)