気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

豆餅ふたば

2005-10-07 21:23:56 | つれづれ
水たまり壊しつつゆくトラックの青さに映ゆるその水たまり

朝曇り映す午前の水の面を背鰭に裂きて鯉は潜れり

桜川水の遅速を映しけり「御」を消して出す返信葉書

先廻りして黄昏ているような小春日のNo news is good news!(いや、なんでもないさ)

死後もまた抜け出して来ん川と川出合う出町の豆餅ふたば

(島田幸典 no news)

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歌集の題名の「no news」はこの四首目から採られている。(いや、なんでもないさ)という大胆なふりがなにびっくりするが、先取り不安の傾向のある人には、よく効く歌。早くに老けこまずに、(いや、なんでもないさ)と明るく行きたいものだ。
出町のふたばの豆餅は、よう知ってます。いつでも行列が出来てる店。

帰り道に足元見れば水たまり小さな空のコピー一枚
(近藤かすみ)

no news 島田幸典

2005-10-06 20:55:34 | つれづれ
横がおを見せつつ橋をゆきちがう光のなかの北山時雨

カーソルを後退させて感情の編集なせり朝地震(ない)ののち

しら鷺はつばさを撓め水に降る水面におのが影確かめて

巨窓(おおまど)に銀杏若葉は犇めきて葉に副(そ)う翳のひといろならず

改札の流れに雌波雄波ありて雄波の人の足どり迅し

(島田幸典 no news )

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以前にも一度読んだ歌集だが、再読し始める。
京都しかも左京区の歌が多く、それだけでも私には嬉しい。歌を作るのに感情をすぐに言葉にせず、一度自分に取り込んで、ゆっくり言葉を紡いである。
まだまだ好きな歌がいっぱいありそう。

いまはネット上でもたくさんの歌が発表され、それをどんどん読めるが、こうして歌集にするためにしっかり洗練して活字になったものを読むのは、また格別の味わい。私は、歌集を手にとって読むのが好きだということを改めて思った。

2005-10-05 18:48:00 | つれづれ
猫にだともの言ひやすくこもごもに猫にもの言ふ家の者たち

猫のする正坐のかたちに韻(ひびき)あり森岡貞香をつとおもはしむ

冷房をいれてくれよとすがる猫額(ひたひ)の汗を手にふきながら

(小池光 滴滴集)

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図書館で借りたままになっている河合隼雄「猫だましい」を読んでいる。そして、小池光に猫の歌がたくさんあるのを思い出して、また滴滴集をパラパラとめくる。家で飼っている猫はけっして従順ではないだろうが、飼い主の思いを反映するのだろう。猫にことよせて、家族に文句を言ったり、冷房を入れてくれと言ったり・・・。ペットというのは、家族の緩衝材なんだな。

穏やかな陽だまりで寝る猫のごと静かにほどけて流れる時間
(近藤かすみ)

母の命日

2005-10-04 22:27:06 | つれづれ
滝の水は空のくぼみにあらはれて空ひきおろしざまに落下す

感情のなかゆくごとき危ふさの春泥ふかきところを歩む

(上田三四二)

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短歌をはじめたころ、上田三四二の「短歌一生」を読んで出会った滝の歌が、いつも心に残っている。
なぜ突然、上田三四二なのかというと、亡くなった母と同年の歌人ってだれだろうと、ふと思って調べると、安立スハル、上田三四二、北沢郁子。理由あってここ数日母の命日モードにどっぷり浸かっている。この件はいずれまた。

われに血を授けし母の命日の夜にひとり観る雷蔵シネマ
(近藤かすみ)


今日の朝日歌壇

2005-10-04 00:00:47 | 朝日歌壇
微笑みが少し足りない吾のためトルコキキョウの花束を買う
(宇都宮市 馬淵のり子)

ヒトの死は所詮ヒトの死ファミレスの喪服のグループ笑いさざめく
(小金井市 丸井礼子)

拷問のような大角(おおつの)戴けるヘラジカの眼に小雪舞い初む
(福岡市 岡村多美子)

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一首目。微笑みなんて足りなくってもいいんじゃないかと思うが、自分のために花を買う気持ちは大切。トルコキキョウは私の好きな花。
二首目。人の死をいつまでも引きずっていては、生きて行けないのだが、あまりにさっぱりし過ぎるのも不謹慎。ヒト、ファミレスのカタカナが利いている。
三首目。もう冬の歌。外国の風景だろうか。ヘラジカはなんと思っているのだろう。角のない軽さを知っているのだろうか。眼と小雪の取り合わせも美しい。


ひかりを掬ふ 春畑茜

2005-10-02 01:20:51 | つれづれ
蜜豆のひそひそ話ひそひそと陶(たう)のうつはに生(あ)るるさざなみ

寒天のうすくれなゐにあはき白午後のひかりを匙は掬へる

浅漬けにされし胡瓜の無念さへ旅のまひるま歯はもてあそぶ

西瓜食み終へては西瓜欲るこころ生くるかぎりを渇くかわれは

矢田川のむかうに街の灯はあふれあふれてさびし旅の終りに

(春畑茜 ひかりを掬ふ 短歌人10月号)

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短歌人10月号、秋のプロムナードから。
春畑さんのこの一連は、どれもいい歌だった。短歌人の夏の大会でご一緒したが、この旅で作った歌やその前後に作った歌を纏められたのだろう。
食べものの歌は、まずおいしそうなことが一番という彼女の主張どおり、蜜豆、寒天、胡瓜、西瓜が生き生きと歌われている。食べ物を通して作者のすがたが垣間見られる。
また、一首の中での漢字とひらがなの配分、かっこの適切な使い方に相当神経を配っているのが、わかる。ひらがなの「ひ」「ふ」「ゑ」などその字面の美しさをうまく利用している。先輩の春畑さんは、この線で進まれるのだから、後輩(年上だが)の私は、それを学びつつ別の方向も模索しなくちゃいけない。
本日の短歌人会関西歌会、残念ながら欠席です(泣)


題詠マラソン2005(76~80)

2005-10-01 23:41:33 | 題詠マラソン2005
076:リズム
鳴りひびくラテンのリズムに腰をふる骨盤旋回8の字横に

077:櫛
十本の指はいのちの通ふ櫛ほんとの顔を見せよと君は

078:携帯
飼ひ主に従ふ犬の証しとて持たされてゐる携帯電話

079:ぬいぐるみ
白きうすきぬひぐるみなる身のうちにもういちにんを飼ひてをりけり

080:書
朱の印を捺し書面もて届けねばならぬ大変しばらくはなし

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いよいよ10月に突入した。なんということもしないうちに時間が過ぎる。
このごろ、ブログを毎日更新しながら、人との距離の取り方について考える。考えてもどうにもならないのに、また考える。
題詠マラソン、ゴールまであとすこし。でも在庫は作ってないので、やはり毎日考える。何をやってるんだか・・・。以前の方がすっと歌を作っていた。ネットでも知り合いが多くなって、場の雰囲気を感じて、のびのび出来ない。

ぬるま湯で化粧を落とす真夜中のわたしを縛るものはわたくし
(近藤かすみ)