気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

昨日の朝日歌壇&more

2005-10-18 18:09:37 | 朝日歌壇
離れ棲めば喜びはいつも寂しさを伴うと知る夜の受話器置く
(横浜市 神野志季三江)

偶然は必然なのか糸切れて淡水パール床に散らばる
(江別市 斎藤明子)

骨盤の細くなりゆく乙女らのジーンズに這う銀のじゃらじゃら
(松山市 吉岡健児)

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一首目。内容がよくわかる歌。上句が字余りでリズムがよくないが、下句で定型に収めてそれを補っている。
二首目。光景が目に浮かぶ。いつかくる破綻をうまく言い表している。
三首目。世相を映した歌。乙女でなくても、そういうファッションを身に纏ってみたい。

朝日歌壇は多くの人が読むので、ここの特有の読み方があるようだ。
結社の歌会では、つきすぎ、ありきたりと言われるような歌もここでは取られている。
また歌壇には歌壇の特有の言葉つかいやものの見方がある。作る方も読む相手を想定して作っているのかもしれない。

徒然に考えることは、今の自分の思いや感覚を歌にしてみて残すことが大事。一旦出してしまうと、それはもう自分の手を離れて思わぬ方向に読まれる。なんと読まれても、それはあのときの自分だ。無責任のようだが、自分も歌もどんどん変化する。変化しなくっちゃ面白くないと思っている。

ぬばたまの髪の芯までほつほつと恋ひしきひとを待つ星月夜
(近藤かすみ)

短歌逍遥・京都の恋

2005-10-17 22:28:45 | つれづれ
ゆふがすみ西の山の端つつむ頃ひとりの吾は悲しかりけり

よき月夜すあしのつまのほの青う露にぬれたり芝生にたてば

雨がふる涙のやうな雨がふる寂しやこよひとくいねてまし

するすると衣桁の衣のおちて又もとの沈黙(しじま)にかへる春の夜

木屋町の夏のゆふぐれうすもののたもとにえりにふきしゆふ風

(九条武子 金鈴)

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佛大四条センターでの短歌講座「短歌逍遥・京都の恋」というのに行く。
講師は坪内稔典先生。
九条武子は西本願寺大谷光尊の娘であり、夫は九条良致男爵。
高貴でしかも美人。夫はロンドンに行ったきり十年帰らなかったらしい。

ここに紹介した歌の中でいいと思うのは「するすると衣桁の衣・・・」の歌。
衣桁から着物がすべり落ちる様子は、恋を連想させる。
「雨がふる」の歌は、わかりやす過ぎていまの歌壇では受け入れられないだろう。「木屋町」の歌は観光短歌というか、ポスターのキャッチコピーになりそうだ。

歌としては素朴で端的だが、歌集はその話題性でどんどん版を重ねた。
随筆・詩歌集『無憂華』(ブロマイド付き)も大ベストセラーになった。
そして本人は敗血症で、41歳で他界。
「心の花」の人だし、今で言えば俵万智というところだろうか。
いや、俵万智は、これからも活躍して注目されるだろう。



真面目過ぎる

2005-10-16 19:43:29 | つれづれ
真面目過ぎる「過ぎる」部分が駄目ならむ真面目自体(そのもの)はそれで佳(よ)しとして

はつきりとこつちがいいと言ひくれし女店員が決めしボールペン持つ

中年のハゲの男が立ち上がり大太鼓打つ体力で打つ

(奥村晃作 鬱と空)

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次回の短歌人会の研究会のテーマがただ事歌らしいので、その関係の歌や文章をパラパラと見る。
いつかの短歌人の大会のとき、トイレで一緒になった平林文枝さんの「小池さんは、奥村さんが好きなのよ」という一言から、奥村晃作に興味を持ち、奥村晃作短歌ワールドを毎日読むようになった。その後、大変お世話になっている。

あの有名な「ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文具店に行く」は、次の歌集『鴇色の空』に出て来る。あるテーマをしつこく追うのも奥村氏のねばり強さだと思う。次の第十歌集『スキーは板に乗ってるだけで』らしい。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~kosakuok/nisi.html


薔薇の名前は

2005-10-15 19:25:47 | つれづれ
見をさめと厚きガウンに身をつつみ流星の群れに遭ひに出でたり

骰子(さい)振つて遊べるわれや禁斷の天を轉がる遊星の人

みどり濃きこの遊星に生れきてなどひたすらに遊ばざらめや

儈院は高き圍ひをめぐらして「薔薇の名前は薔薇に問ふべし」

生涯を編年體に編むべしや掌に靜脈の行方透かしつ

(多田智満子 遊星の人)

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「心覚えに」と題された高橋睦郎の文章によると、多田智満子は癌宣告を受けて覚悟ののち、遺句集、遺詩集、遺歌集を高橋氏に託された。
旧字で書かれた重みのある歌集だ。そのこころは骰子を振って遊ぶことにある。真剣なあそび。
若林のぶの「杖を立てて倒れし方角に行くことがそれほどをかしいことであるのか」という歌を思った。

遊星の人 多田智満子

2005-10-15 00:14:04 | つれづれ
拾ひきて罪のごとくに隠しもつ貝の内裏(うちら)に虹照りわたる

春の夜の灯を消したまへ桃の花ふけゆくほどに姥ざかりなる

鍵穴を失ひし鍵にぎりしめ家をめぐりてさまよふは誰(たれ)

(多田智満子 遊星の人)

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縁あって、多田智満子の歌集『遊星の人』を読みはじめる。以前、図書館で借りて読めないまま返してしまった。また手元に来たのは縁があったのだろう。
貝の内側にある虹。隠しもって帰った貝だからこそなお美しい。
以下は、題詠マラソン2003のお題「てかてか」で何とか作ったもの。

てかてかの虹はガソリンスタンドの溝に捨てられ渦をまきをり
(近藤かすみ)

題詠マラソン2005(81~85)

2005-10-14 00:01:02 | 題詠マラソン2005
081:洗濯
洗濯機のうちにまだらの同心円描き家族の衣服捩ぢれる

082:罠
〆切に間に合ふやうに歌を詠む詠まさるるとふくれなゐの罠

083:キャベツ
キャベツ一個食べきれぬまま味に飽く冷蔵庫に棲む罪、チョコ、キムコ

084:林
近くならボランティアにてお手伝ひいたしますのに邑書林さま

085:胸騒ぎ
メランコリィの胸騒ぎだせ歩を出せと白き錠剤処方されたり 

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ほんとは料理が好きで、ロールキャベツは得意。なべに一緒に、セロリを入れるとより好みの味になる。しかし家族が少食なので殆ど余る。近所のおすそ分けなんていうこともない。




樹下

2005-10-12 20:59:29 | つれづれ
大いなる樹下(こした)にやすむ一家族夕まぐれまでゐるにやあらむ

きつね色の革の手帳ににくしみのふかぶかとさす書き込みしたり

手をだせばとりこになるぞさらば手を、近江大津のはるのあはゆき

(岡井隆 禁忌と好色)

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岡井さんは、昭和三年生まれなのにとても色っぽい。男性はそれでいいのだろうが、女性は結婚すると色っぽさを封印してしまう。家事や子供の世話でバタバタして封印せざるを得ない状況にいるうちに、本当に色気のない存在になってしまう。
それで終るには人生はながい。家族も同じ樹の下にはいない。
肉体的にやりなおしは利かないが、ペンネームでやり直し・・・というのもええんやないかな?

手触るればひそとその身を閉ぢてゆく知羞草に咲く花のくれなゐ 
(近藤かすみ)

独楽

2005-10-11 22:42:53 | つれづれ
しづかなる旋回ののち倒れたる大つごもりの独楽を見て立つ

独楽は今軸かたむけてまはりをり逆らひてこそ父であること

夕ぐれの大地に独楽を打ち遊ぶくれなゐのひも湿り帯びたり

(岡井隆 禁忌と好色)

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いつか買った短歌新聞社文庫を読む。このシリーズは、手軽で読みやすい。字が大きく一ページに三首とゆったりしているのが良い。
このごろ読むことはとても楽しいのだけど、自分ではなかなか作れない。読むことが栄養になると信じて、何かを待つしかない。

あるネット歌会に参加していて、何も書けていないのに、気分が消耗してしまった。人前でものを言うこと、しかも繰り返して読まれる文を書くということはしんどい。予め「もしも失礼があったらごめんなさい」と言っておかなければならないような雰囲気。ネット上での言葉のやりとりは過剰に気配りする性質を持っているからだろう。



今日の朝日歌壇

2005-10-10 19:36:58 | 朝日歌壇
日日に(にちにち)にくだる坂みち秋量る法馬(ほうま)のようにアケビ垂(しだ)れる
(浜松市 松井惠)

逢うことのまれとなりたる親族をなつかしめども逢いには行かず
(山形県 小山田子鬼)

豊水とう梨がこんなに甘くってふっと気になるこの国のこと
(夕張市 美原凍子)

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一首目。「法馬」とは分銅のことだと、はじめて知った。「秋量る法馬」と思ってみると、アケビはそのとおりの実に見える。
二首目。親族というのは、そういうものかもしれない。親族の少ない人はその少なさを気楽と思い、多い人はにぎやかで良いと思う。どちらにしろ、自分の立場を良く思っていないと、やってられない。ところで「子鬼」というのはペンネームなんだろうか。
三首目。豊水というのは、豊かな気持ちになる言葉。「二十世紀」より甘く、人々の願望をかなえてくれる味わいがある。だけど、その甘さに酔っていていいの?ってふっと気になる。

きのうの歌会でも、他の歌会でもよく聞く言葉は「既視感があるから、取れません」「歌としてきれいに仕上がっているが、インパクトが足りない」。
「素直な歌です」というのは、「下手です」の別の言い方でもある。
私もときどき「よその会へ行ったら、高得点かもしれません」などと生意気なことを言ってしまう。
しかし、歌会で鍛えられると、よそ(例えばスポーツクラブ)で多少いやなことがあっても「これはここだけのこと」と、割り切って考えることが出来るようになった。これも歌会の効用かな?



枯木灘 残照

2005-10-08 22:25:40 | つれづれ
枯木灘の海を見たしと思うかな切羽詰まったときの習いに

残照の光の海を二人行く花のごとかる罪を抱きて

両手にて君の冷えたる頤を包みていしは冬の夕駅

取り落とし床に割れたる鶏卵を拭きつつなぜか湧く涙あり

<世界より私が大事>簡潔にただ率直に本音を言えば

(道浦母都子 夕駅)

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晩ご飯を食べながら、テレビを見ていると、加山雄三、スパイダース、渡辺真知子、南こうせつ、世良公則といった懐かしい人が歌っている。圧巻は郷ひろみだった。かっこいい。

これに満足して、チャンネルを変えると、BSで都はるみが感情たっぷりに涙を流して歌い始めるところ。曲は「枯木灘 残照」。作詞は道浦母都子。
歌集『夕駅』で見覚えのある言葉が歌詞になっていた。
ここに引用した歌の中で、わたしが一番すきなのは五首目の<世界より私が大事>の歌。これは都はるみの歌の歌詞にはなっていなかった。そのことになんとなくほっとした。

薄墨を流すごとくに暮れいそぐ秋の日家路をゆく人を押す
(近藤かすみ)