気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

汀暮抄 大辻隆弘 つづき

2012-02-13 18:48:40 | つれづれ
ひつそりと濡れしガーゼが垂れてをり百葉箱の闇を開けば

やはらかき耳たぶらより外されてわが眼鏡いま弛緩してゐる

河野さんは死ぬことにもう怯えずに済む怖がらずに済むとおもひつ

怖かつただらうと思ふみづからの身体がいつか暴走をして

小春日のひかりを裏返すやうに白木の椅子にニスを塗るひと

ああこんな美しい日に豚まんの底の薄紙はがしあぐねて

トゥイントゥインと音の卵を産み落とす警報機あり夜の草はらに

いつせいに解答用紙ひらかれて風ふく朝の野をおもひたり

僕的にはありだと思ふんですよねと言ふ若者よ殴つてもよいか

ほの白く立つ朴の木に昼の陽はしづかなりしが暮れゆきにけり

(大辻隆弘  汀暮抄  砂子屋書房)

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大辻さんは学校の先生なので、職場詠として学校が詠われる。百葉箱、解答用紙は学校ならではのアイテムであり、風景である。解答用紙がいっせいに、しかしすこしずつずれてパタパタと開かれる様子から風の吹く野原を連想する。詩人である。
言葉でいえば、二首目の「耳たぶら」は、私には不思議な質感の言葉。複数の耳たぶということだろうが、なんとなく気持ち悪い。以前、某歌会で「・・・・・大根炊きおけば・・・・・」という歌を出すと、「炊きおけば」はおかしいと言われてしまった。言葉に対する感覚は、育った環境も含めて個性がでる場所だと思う。
河野裕子さんとは、長い間おなじ歌会に出てられたようで、挽歌の一連の中に生きいきと河野さんのすがたが現れる。何よりの供養だと思う。
真面目な歌の合間に、豚まん、僕的には・・・といったユーモアのある歌が挟まれて、読者の笑みをさそう。
そして最後の一首は、「暮れゆきにけり」ときっちりと文語で締める。
何度も読み返したい歌集だ。

(大辻さんの「辻」は、しんにょうの点が一つですが、ワードでは辻としか出ません)


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