気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

竹叢 岡部桂一郎 つづき

2008-04-12 00:43:26 | つれづれ
定型は人をきびしくするものか しばらく思う 甘えさすもの

卓上に地震(ない)のしずかによぎりしが途方に暮れて眼鏡ありたり

掛け違うつぎのボタンを探す手のしばらく遊びいたる暗がり

「かなかな かな」死はなつかしき声で鳴く 近づきてまた遠ざかりゆく

五時すぎの道に現われ立ち止まる犬をし見ればわれの顔して

飴ン棒口にくわえて幼かるわが過ぎし日のまた還り来よ

(岡部桂一郎 竹叢 青磁社)

**************************

一首目。どういう意味だろう。結論としては「定型は人を甘えさすもの」ということになる。短歌のかたちになっていれば、短歌を作った気になるが、それでは優れた作品にはならない。形に収めることも大事だが、それに甘えず、一首が詩として立ち上がるように作りなさいということだろうか。
四首目。岡部桂一郎ほどの年齢になると、死の泣き声が聞こえるのだろうか。いまのところ近づいても遠ざかってゆくらしい。なんとなくこわい歌。
五首目。犬の顔が自分の顔をしているというのは、奇妙な感覚。返す言葉に困るような歌。
六首目。子供のころの回顧にひたりたい願いがわかる。絶対に戻れないのに、戻りたいし戻ることが出来るような感じがあるのだ。

死ぬときは枕元まで母が来て卵ごはんをひとくちくれる
(近藤かすみ)


最新の画像もっと見る