みちのくの隠者がひそとものを書きさんさ時雨てあゝ直木賞
(武田英男 大池唯雄 短歌人5月号)
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このブログで、武田英男さんの歌を取り上げたら、武田さんのお孫さんから、コメントをいただいた。きょう、5月20日は武田英男さんのお誕生日らしい。
何歳になられたのだろう。わたしの想像では、九十六歳ではないかと思う。
短歌人5月号には、大池唯雄という題で、武田英男さんの八首が載っている。大池唯雄氏は、小池光氏のお父さま。
また、先日酒井佑子さんの『矩形の空』について書いたときも、娘さんからコメントがついた。大人になってしまうと、家族のことはわかっているようで、わかっていない。家族に見せる顔と別の顔を、それぞれが持って暮らしている。特にものを書く人間はそうだ。
私も、子供の近況を知りたくて、よく検索をする。また、それを「見たよ」って、言っていいのか悪いのかさんざん悩んで、つい口をすべらせている。そして、このブログを家族がどこかで見ていて、何か思っているのかもしれない。いやきっと興味ないだろうな。近いはずの家族が遠くて、遠いはずの他人が近くていろいろ知っていて、なんだか不思議なことになっている。
(武田英男 大池唯雄 短歌人5月号)
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このブログで、武田英男さんの歌を取り上げたら、武田さんのお孫さんから、コメントをいただいた。きょう、5月20日は武田英男さんのお誕生日らしい。
何歳になられたのだろう。わたしの想像では、九十六歳ではないかと思う。
短歌人5月号には、大池唯雄という題で、武田英男さんの八首が載っている。大池唯雄氏は、小池光氏のお父さま。
また、先日酒井佑子さんの『矩形の空』について書いたときも、娘さんからコメントがついた。大人になってしまうと、家族のことはわかっているようで、わかっていない。家族に見せる顔と別の顔を、それぞれが持って暮らしている。特にものを書く人間はそうだ。
私も、子供の近況を知りたくて、よく検索をする。また、それを「見たよ」って、言っていいのか悪いのかさんざん悩んで、つい口をすべらせている。そして、このブログを家族がどこかで見ていて、何か思っているのかもしれない。いやきっと興味ないだろうな。近いはずの家族が遠くて、遠いはずの他人が近くていろいろ知っていて、なんだか不思議なことになっている。
そんな父の姿を見ていたから、教師という安定した職に就いたのかなぁ、と、勝手に想像していました。
やっぱ、短歌は家族や親しい友人に読んでもらいたいですよね。
歌会で歌人に会うたび、「息子と同じ。」、「孫と同じ」とか言われると、なんか、複雑な気持ちになります。
もっと言えば、同世代の人に短歌を読んだり作ったりしてほしいと思いうんですが……なかなか、うまくはいきません。
気持ちが伝わらないって、マジで、かなしい。
わたしはあまり家族に自分の歌を読んでもらいたいとは思っていません。自分のためだけに作っています。
短歌は、ある程度の年齢以上になって知った現実逃避の方法の一つです。
のぞかせていただいております。
お子さんの近況を知りたいとおっしゃるかすみさんの
お気持ちが、私はよくわかるような気がするのです。
愚息の本当に愚の骨頂のようなブログを、
こっそり覗き見したりしています。
(あまりにもバカなので、悲しくなるのですが)
母も、かすみさんと同様、
家族や親族には歌集を読まれたくないそうです。
自分に万が一のことがあったら、
原稿は決して読まずに全部燃やせ、
もし読んだら化けて出るぞ、と脅迫されています。
それでも私は、母の歌が読みたいのです。
なんだか実母に片思いしているような気分です。
45年ほど前に母が詠んだ歌で、
気に入って覚えているのがこれです。
汗あえているに後ろ髪束ねやれば細き首あらわるる我が恵子あはれ
お母さまの昔の歌の中で、昔のご自分に会えるというのは、すばらしいことですね。「実母に片思い」というのもまたステキです。私は若くして母を亡くしていますので、母が生きていたら、どんな親子関係になるか想像してもなんともなりません。いまや亡くなった父母は私の記憶のなかに生きているだけで、歌の材料にさせてもらっています。
子供たちはもう大人ですから、どうにもなりませんね。私の情報源は息子の友達のブログです。その友達にも一度会いましたが、まともだったので安心しました。
それと、そちらのブログの本屋ネタ、懐かしく読んでます。いろんなお客いますよね~ふう。
マンションより、大学院まで、チャリンコの道行を
途中には、忍ばずの池を見て通っているのかなと
思いつつ。
きょうの新聞で見ましたが、歌集『天の腕』で今年の現代歌人協会賞に決まった棚木恒寿さんは立命館のご出身です。これからその歌集を読み直します。