気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2014-04-21 18:53:02 | 朝日歌壇
補聴器を買いて最後の贅沢をするとう母は九十二歳
(大洲市 村上明美)

卓上の遺影を旅の思ひ出の写真に替へぬ三度目の春
(羽村市 竹田元子)

春雨にぬれて帰ればさびしさもつき来ぬひとりの煮物をつくる
(摂津市 内山豊子)

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一首目。補聴器を新調するくらいで、贅沢というお母さまがいじらしい。生きることに執着することに照れがあるのだろうか。この歌は文語。もし口語にするなら、補聴器を買って最後の贅沢をするという母は九十二歳、となる。「とう」は短歌でよく使う言葉だが、短歌的すぎるので、「という」の方が好ましい気がする。新かなで、「とう」「おりぬ」などを読むと違和感があるが、どうだろう。
二首目。卓上に遺影があるということは、ご家族なのだろう。遺影を別の写真に替えるとは、自分では思いつかなかったが、思い出の写真ならそれもいい選択だ。「三度目の春」が的確でいい。
三首目。よくわかる歌。出かけて帰ってから、自分のために煮物を作るというのは、なかなか出来ない。少なくとも私にはできない。実際に作ったかどうかは、どうでもいいことで、歌の中には演出があって当然だ。「煮物をつくる」で、歌全体が引き立つ。作ったように思わせるところが巧い。どこかにリアリティーのある事を入れると歌が生きてくる。

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1 コメント

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Unknown (teruo)
2014-04-22 01:56:32
一首目、三首目のご意見、同感です。
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