気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

食曼荼羅 うぬぬ  久保田幸枝 

2013-08-02 18:43:38 | つれづれ
芽キャベツがそのうちキャベツになるなんてあの子はいまでも信じてゐるか

ピーマンのひと癖好きになるころはおまへもおとなになつてゐるはず

太陽と大地と水と労働とひと粒の米のうちなる宇宙

鍋に咲く鱧の花をしよりしよりと歯もて散らせば言ふこともなし

桃のことは桃に聞くのがよろしかろ もうじふぶんに冷えたかどうか

つるりんと言つてしまへばそれ以上でも以下でもなくて<白玉だんご>

鯉ならぬわたしの口を開かする京の御池のふはふは煎餅

子育てのあまき時間の立ちのぼるピーチ・ゼリーの空容器(からカップ)より

ぬたにせよ茹ですぎるなよ春の葱をきざめばどこかで母の声する

身を支へ心を満たし慰めて「食」あり、ありき、あらねばならぬ

(久保田幸枝 食曼荼羅 うぬぬ 角川書店)

****************************************

久保田幸枝歌集『食曼荼羅 うぬぬ』を読む。
久保田さんとはお会いしたことがないが、信州日報に短歌のコラムを連載しておられて、二度も私の歌を紹介していただいた。
食曼荼羅シリーズとして、『食曼荼羅 にやぐにやぐ』と『食曼荼羅なむなむ』があり、これが最後の一冊となるとのこと。
歌集一冊がすべて食をテーマに作られている。以前の二冊は読んでいないが、食と歌へのエネルギーに感嘆する。
食べることは生活そのものであり、背後に家族の顔がちらちらと見える。
私の好物は、七首目の御池煎餅。これは品が良くて、あっさりしていて、いくらでも食べられる。食のうたは私にとっても、大事なテーマ。久保田さんを見習いつつ、自分らしい食の歌を追究していきたい。

最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (小川良秀)
2013-08-03 00:09:37
桃のことは桃に聞くのがよろしかろ もうじふぶんに冷えたかどうか

わたしも料理は好き。テレビでは料理番組ばかり見ている。もちろん、妻もするのだがかれこれ20年ほど家の食事をつくっている。スーパーの買物もわたしがやっている。さきほどの真中氏も料理好きと聞いている。桃は表皮が旨い。買ってくるものは表皮が死んでいるのだが。友だちが桃園をもっていて桃をすりつぶしてジュースをつくってくれたが美味しかった。この歌で・・・聞く、というよりも、訊く、の方が適切。
返信する
Unknown (かすみ)
2013-08-03 08:47:05
小川さま

そうかもしれませんね。作者の思惑次第です。
返信する
Unknown (teruo)
2013-08-03 10:57:25
表現すること自体がまったく独善そのものなのだが、独善はかならずどこか普遍でもありうる。

それをふまえても、
ここの十作品のおおかたがつぶ揃いというのも近年にない体験。
返信する
Unknown (かすみ)
2013-08-05 01:41:05
teruoさま

週末に留守をしていてパソコンを開けてなかったので、公開がおそくなってすみませんでした。

返信する