気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2006-02-06 21:24:27 | 朝日歌壇
「さ・よ・な・ら」をメールでつげた きみの声きかずにすんだがそうぞうできた
(前橋市 中野紗也香)

捨てに行き捨てずに戻りぬわが犬を曳きいし鎖少し錆びたる
(守山市 沢井栄子)

向き合えるビルの一つは端正な相手を歪め映して止まぬ
(東京都 丸木一磨)

*****************************

一首目。この一字開けに意味がある。「短歌の主体は私」と読む基本に従うと、「さ・よ・な・ら」を告げたのは作者。そのあとのきみの反応は、聞かずに済んだ。ここに一字開けがなかった場合、「さよなら」を言ったのは「きみ」だという読み方になる。さて、サヨナラを告げたのは、どちらだろう。こちらからさっさと別れを告げる方が、潔い。
二首目。こちらは、飼犬を捨てに行ったものの、捨てられずに戻った歌。捨てられないのは犬だけでなく、犬との生活を捨てられない作者でもある。くたびれて鎖は少しさびる。しかし、曳きいし・・・の「し」が過去形では辻褄が合わないんじゃあないか。新しい鎖を買うほどの勢いもないのに、捨てられない今の暮らし。わかる歌ではある。
三首目。一面ガラス張りのビルに移る人の姿を詠っている。映される人は端正であっても、映す鏡が歪んでいては、まっすぐな姿は映らない。目の前の鏡なら拭けばよいが、相手がビルほど大きいと、それも叶わない。隔靴掻痒感のある歌。

ちょっと考えていたのだけど、関西短歌人会と短歌人会関西歌会。
同じようでちょっとちがう。次回、先輩に尋ねてみたい。

飼犬が死ねばその日はちよつと泣き次を探すとあのひとは言ふ
(近藤かすみ)


最新の画像もっと見る