蒔かれたる場所に根下ろす草に似て六十年を衣縫ひて来ぬ
襠裲を仕上げて息ぬきせし日より数日病みて父は逝きたり
早逝せし夫の蔵書にはさまれてはじけるやうな笑顔のわれが
道端の老婦人の売るコスモスの花束に小さく「百円」とあり
待つひとの居るごと購ひしバゲットを抱へて日ぐれの踏切の前
ちりめん山椒 肴にゆるゆる飲みをりぬ何とわたしにふさはしい夜
ひと言も人と語らず過ぐる日は記憶のなかの多くと語る
交尾終へし雄猫けだるく帰る道夾竹桃はあかあかと咲く
信号が青になるまで恋をしぬ弁天町交差点に美青年ゐて
わが縫ひし法衣にしづかに染みてゐむ雪の高野(かうや)の朝の声明
(森田悦子 襠裲 現代短歌社)
襠裲を仕上げて息ぬきせし日より数日病みて父は逝きたり
早逝せし夫の蔵書にはさまれてはじけるやうな笑顔のわれが
道端の老婦人の売るコスモスの花束に小さく「百円」とあり
待つひとの居るごと購ひしバゲットを抱へて日ぐれの踏切の前
ちりめん山椒 肴にゆるゆる飲みをりぬ何とわたしにふさはしい夜
ひと言も人と語らず過ぐる日は記憶のなかの多くと語る
交尾終へし雄猫けだるく帰る道夾竹桃はあかあかと咲く
信号が青になるまで恋をしぬ弁天町交差点に美青年ゐて
わが縫ひし法衣にしづかに染みてゐむ雪の高野(かうや)の朝の声明
(森田悦子 襠裲 現代短歌社)