気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

そこらじゅう空 なみの亜子 砂子屋書房

2021-04-26 18:17:41 | つれづれ
老い犬を川に浸からせ見るともなく見ればそこらじゅう空だらけなり

せんたくの脱水を待つ数分に消費されゆくわが晩年は

咬まへん?と訊いてくる児は触れたき児この犬シイくん撫でてもええよ

むかし棲んだ家は旅籠となりており土間に火燃ゆるあたたかなゆめ

生まれきて生きのびることを生きるから草とび渡る鹿はわたしだ

生きている父が死んでる母の顎を押すのだ閉じよと無造作に手で

失敗のおしっこ拭きつつもう何年もこんなことばかりしているのです

まる描けるとんびの胸のはるか下 窓などさがしてなんになろうか

草藪ゆわしえらいめに遭うてもたと出でこし犬の萩の実まみれ

誰からも離れて誰とも会いたくて こころの空き地に草ののびゆく

(なみの亜子 そこらじゅう空 砂子屋書房)

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なみの亜子の第五歌集。人生はきれいごとでは済まないということはよくわかっているが、せめて短歌ではきれいごとで済ませたいと願ってしまう。済ませてしまう歌人も多い。しかし、なみのはそうはしない。歌は真に迫ってくる。犬と一体化する文体の面白さにも注目する。途中「勤めていた頃」という一連があり、他との対比がくっきりしていて驚いた。切ない。

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