気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

やはらかい水 谷とも子 

2017-09-14 01:17:55 | つれづれ
やはらかい水を降ろしてまづ春は山毛欅の林のわたしを濡らす

雨はもう止むんだらうな木の下のリュックに鳴つたサクマドロップス

カップ麵のふたに小石をのせて待つ今日のもつとも高いところで

木の影とわたしの影のまじりあひとても無口な道となりたり

夕焼けにひとりひとりが押し出され鞄さげつつ下りゐる坂

壮年の弟の首うなだれて「ごめん」と言ふうちおとうとになる

木とわたし話すことなどもう無くて霧にからだを湿らせてをり

なんだらうこのしづけさはと思ふときほたるぶくろの花のうちがは

袋から出したものなど口に入れコンビニのイートインコーナーにゐる

ふくろ買ひふくろ断り自転車の籠にふくろのあらは放り込む

(谷とも子 やはらかい水 現代短歌社)

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未来短歌会、谷とも子の第一歌集『やはらかい水』を読む。

谷さんとは、五年ほど前から参加している神楽岡歌会で、ほぼ毎月ご一緒している。神楽岡歌会に参加できることになって初めてのとき、同じように初参加で緊張していたのが谷さん。飾り気のない人柄でなんでも言い合う友達だ。谷さんは山歩きをする人で、それが歌の題材として生きている。

一首目、山毛欅の林で濡れる身体から、季節を感受する。三句目の「まづ春は」が効いている。二首目は、サクマドロップスの具体がリュックで鳴っていて、こちらまで嬉しくさせられる。三首目。山に登る人は、そうか、高い所でカップラーメンを食べるのか。蓋に小石を載せるのがユーモラス。下句がいい。この三首は「苔の花」と題された巻頭の一連。登山の様子がいきいきと描かれている。

四首目、七首目も、登山のうた。山道を歩くとき、声を出すことはない。静けさの中で作者と自然は一体となっている。五首目。夕方の仕事を終えての帰り道を、ひとりひとりが押し出され、と詠む客観性が良い。六首目は、弟=人間の出てくる歌。大人になった弟が謝るとき、ふと表情が子どものころに返った気がした。「壮年の弟」「おとうと」の表記にしっかり気配りがされている。
九首目の「袋から出したもの」は菓子パンだろうか。急いで食事をする感じが上句にうまく言い表されている。十首目。「ふくろ」の繰り返しに、ドラマが展開される。ふくろに注目しながら、人間が見える。

モノを通した描写が巧い作者であるが、やはり自然詠に魅力がある。現代ではどうしても人工的、観念的な歌が多く、その点で、自然に入って行って、対話できるということは貴重だ。また、文語と口語の混合、旧かなで書く口語表現ということにも注目した。

沢の面のひかりをうすく削ぐやうにカワトンボゆく前へ前へと

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