気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

ガレの耳  川綾子 

2014-06-09 17:50:11 | つれづれ
唐辛子の焼ける匂いに添うごとく夏はたっぷり太りゆくなり

ゆきひらとうやさしき語感木しゃもじにぽったり艶めく白粥すくう

湿度七十八パーセントの昼闌けを鰭欲しとおもう鯨の尾びれ

ありのままの私でいようこんもりと楢の裸木の枝張るすがた

海風に髪梳かれつつ見下ろせし千枚の田に千枚の緑(あお)

僅かずつ亀裂は兆す音もなく赤絵大皿こよい割れたり

鮮らけき朱の神門をくぐる時みどりご小さくくさめを放つ

見らるるも生業ならむ五箇山の合掌民家に靴あまた脱がる

父の机そのままわれの机となり時に出でくる銀の仁丹

正直に生きているかと透くようなフォーの白さに問われていたり

(川綾子 ガレの耳 ふらんす堂)

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好日に所属する川綾子の第一歌集『ガレの耳』を読む。

川さんとはお会いしたことがない。好日の神谷佳子さんのカルチャー教室の生徒として、スタートされ、私と同年代らしい。

歌は、現実をそのままに詠っていてわかりやすい。家族の中で、ちゃんと役割を果たしつつ、香道や短歌を趣味として楽しんでおられる。羨ましい。
一首目、二首目は、食べ物を的確に詠って、美味しそうだ。季節感もある。
五首目は、爽やかな一首。田が千枚あるのかどうかは不明だが、それほどたくさんあるように見えれば、千枚と言い切って良い。
六首目は、ちょっとこわい。立派な大皿であっても、形あるものはいつか壊れる。それは物事の破綻や、人間の死を暗示しているように読める。集中、私が一番こころ惹かれた歌だ。
七首目。お孫さんのお宮参りの様子を詠った一連にある。赤ちゃんはみどり色ではないが、上句に出てくる朱の神門の「朱」とみどりごの「みどり」が対照的で美しい。まだ何もできないみどりごであっても、神門をくぐるとき、何かのお告げのようにくしゃみをしたのが面白い。それを見逃さない作者の眼が温かい。九首目は、仁丹が時代を思わせる。私の父も仁丹をケースに入れて持ち歩いていたものだ。物が出ることで、歌が生き生きすることの見本のような歌。
四首目、十首目では、みずからの生き方を問うている。短歌を作るとき、自省することはよくある。短歌という詩形が自省を促すちからを持つからだろう。

歌集の装丁も美しい。表紙は白だが、穏やかな光沢を持つ上質の紙が使われている。上品で、安心して読める一冊だった。




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