気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2011-12-19 19:17:05 | 朝日歌壇
水槽に産みし卵の殻までも食い尽くしたる亀の憂鬱
(四万十市 島村宣暢)

戸隠そばの土産あげたる隣家より讃岐うどんの土産いただく
(八王子市 青木一秋)

いらいらと幼を叱る声のして胸痛むあれはいつかの私
(佐倉市 船岡みさ)

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一首目。馬場あき子先生の評によると、よくあることらしい。亀がストレスでうつ状態になり、過食や自傷行為に及んだように読める。実際、結句の「亀の憂鬱」の画数の多い字を見ていると鬱陶しくなってくる。作者の思惑に嵌った。
二首目。このお土産のやりとりを暖かい交流と読むかどうか、それは読者次第。ある男性タレントは、今年「年の差婚」で話題になったが、前の奥様との離婚の原因の一つは、過剰に送られてくる食材のことだったらしい。グルメ番組の司会などしている人なので、食通と思われて、好意でファンやさまざまな人から珍しい食べ物が贈られ、奥様はそれを料理しきれなかったという悲劇。さもありなん。わが家もいただけるとしたら、すぐ食べられるものがありがたい。いえいえ、頂けるものなら、カステラでも羊羹でも牛肉でも嬉しいです。蟹は無理です。
三首目。子供を育てた経験のある人なら、ほとんどがこのような気持ちになるだろう。私など、いまだに他の人が育てていたら、もっと素晴らしい人間になっていただろうと、自分を責める気になる。というと子供たちに申し訳ない。こんな母親なのに、よく育ってくれました。歌のことになるが、実は短歌人1月号の詠草として送った歌と、下句が似ている。1月号の〆切は11月12日なので、出したのは11月のはじめころだと思う。決してこの歌を真似たのではないし、上句は全くちがう。類想のことが気になって仕方ない今日この頃。アリバイの証明や言い訳を考える間に、次の歌を考えた方が建設的だ。